みんなの知識【ちょっと便利帳】
 
Google
著名作品の「書き出し」と「書き終わり・結び」
「書き終わり・結び」
目次へ あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
 「書き終わり・結び」 <作家別・あ行>
文字をクリックすると、説明や文章が出たり消えたりします。
 使い方と説明
下の枠の番号をクリックすると、表示されている作家の作品が出たり消えたりします。
主に明治・大正から昭和初期の作家の、日本文学を主とする著名な作品の「書き出し」と「書き終わり・結び」を収録しました。一部翻訳文も含まれます。
詩集や、段などで書かれている作品は、初めの一編(一段、一作など)と最後の一編(一段、一作など)を「書き出し」「書き終わり・結び」として示しました。小説や随筆などにおける「書き出し」「書き終わり・結び」とはやや趣が異なります。
このページでは、『作家別・あ行』の作品の「書き終わり・結び」、つまり作品の最後の部分を表示します。
「書き出し」は別のページで見ることができます。「書き出しを見る」をクリックして下さい。
「インターネット電子図書館 青空文庫 」からの引用がかなりの割合を占めます。引用したサイトがある場合、それぞれの作品の原文へのリンクを設けました。
研究や学習にお使いの際は、辞典・専門書などでご確認下さい。
1 芥川龍之介 「或阿呆の一生」
 彼はペンをる手も震へ出した。のみならずよだれさへ流れ出した。彼の頭は〇・八のヴエロナアルを用ひて覚めた後の外は一度もはつきりしたことはなかつた。しかもはつきりしてゐるのはやつと半時間か一時間だつた。彼は唯薄暗い中にその日暮らしの生活をしてゐた。言はば刃のこぼれてしまつた、細い剣を杖にしながら。

2 芥川龍之介 「芋粥」
京童きやうわらべにさへ「何ぢや。この鼻赤めが」と、罵られてゐる彼である。色のさめた水干に、指貫さしぬきをつけて、飼主のない尨犬むくいぬのやうに、朱雀大路をうろついて歩く、憐む可き、孤独な彼である。しかし、同時に又、芋粥に飽きたいと云ふ慾望を、唯一人大事に守つてゐた、幸福な彼である。――彼は、この上芋粥を飲まずにすむと云ふ安心と共に、満面の汗が次第に、鼻の先から、乾いてゆくのを感じた。晴れてはゐても、敦賀の朝は、身にしみるやうに、風が寒い。五位は慌てて、鼻をおさへると同時にしろがねの提に向つて大きなくさめをした。

3 芥川龍之介 「蜘蛛の糸」
 しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着とんじやく致しません。その玉のような白い花は、御釈迦様の御足おみあしのまわりに、ゆらゆらうてなを動かして、そのまん中にある金色のずいからは、何とも云えないい匂が、絶間たえまなくあたりへあふれて居ります。極楽ももうひるに近くなったのでございましょう。

4 芥川龍之介 「戯作三昧」
「お父様とっさんはまだ寝ないかねえ。」
  やがてお百は、針へ髪の油をつけながら、不服らしくつぶやいた。
「きっとまたお書きもので、夢中になっていらっしゃるのでしょう。」
  お路は眼を針から離さずに、返事をした。
「困り者だよ。ろくなお金にもならないのにさ。」
  お百はこう言って、伜と嫁とを見た。宗伯は聞えないふりをして、答えない。お路も黙って針を運びつづけた。蟋蟀こおろぎはここでも、書斎でも、変りなく秋を鳴きつくしている。


5 芥川龍之介 「地獄変」
 しかしさうなつた時分には、良秀はもうこの世に無い人の数にはいつて居りました。それも屏風の出来上つた次の夜に、自分の部屋のはりへ縄をかけて、くびれ死んだのでございます。一人娘を先立てたあの男は、恐らく安閑として生きながらへるのに堪へなかつたのでございませう。屍骸は今でもあの男の家の跡に埋まつて居ります。尤も小さなしるしの石は、その後何十年かの雨風あめかぜさらされて、とうの昔誰の墓とも知れないやうに、苔蒸こけむしてゐるにちがひございません。

6 芥川龍之介 「杜子春」
「何になっても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです」
  杜子春の声には今までにない晴れ晴れした調子がこもっていました。
「その言葉を忘れるなよ。ではおれは今日限り、二度とお前にはわないから」
  鉄冠子はこう言う内に、もう歩き出していましたが、急に又足を止めて、杜子春の方を振り返ると、
「おお、さいわい、今思い出したが、おれは泰山たいざんの南のふもとに一軒の家を持っている。その家を畑ごとお前にやるから、早速行って住まうが好い。今頃は丁度家のまわりに、桃の花が一面に咲いているだろう」と、さも愉快そうにつけ加えました。


7 芥川龍之介 「トロッコ」
良平は二十六の年、妻子さいしと一しょに東京へ出て来た。今では或雑誌社の二階に、校正の朱筆しゅふでを握っている。が、彼はどうかすると、全然何の理由もないのに、その時の彼を思い出す事がある。全然何の理由もないのに?――塵労じんろうに疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細細と一すじ断続している。…………


8 芥川龍之介 「鼻」
 ほとんど、忘れようとしていたある感覚が、再び内供に帰って来たのはこの時である。
  内供は慌てて鼻へ手をやった。手にさわるものは、昨夜ゆうべの短い鼻ではない。上唇の上からあごの下まで、五六寸あまりもぶら下っている、昔の長い鼻である。内供は鼻が一夜の中に、また元の通り長くなったのを知った。そうしてそれと同時に、鼻が短くなった時と同じような、はればれした心もちが、どこからともなく帰って来るのを感じた。
  ――こうなれば、もう誰もわらうものはないにちがいない。
  内供は心の中でこう自分にささやいた。長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら。


9 芥川龍之介 「毛利先生」
 刹那せつなあいだこんな事を考えた自分は、泣いていか笑って好いか、わからないような感動に圧せられながら、外套の襟に顔をうずめて、width="16"そうそうカッフェの外へ出た。が、あとでは毛利先生が、明るすぎて寒い電燈の光の下で、客がいないのをさいわいに、不相変あいかわらず金切声かなきりごえをふり立て、熱心な給仕たちにまだ英語を教えている。
「名に代ることばだから、代名詞と云う。ね。代名詞。よろしいかね……」。


10 芥川龍之介 「羅生門」
 しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。そうして、そこから、短い白髪しらがさかさまにして、門の下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々こくとうとうたる夜があるばかりである。
  下人の行方ゆくえは、誰も知らない。


11 阿仏尼 「十六夜日記」
さてもさは のこるよもぎと かこちてし ひとのなさけも かゝりけり おなじはりまの さかひとて ひとつながれを 汲みしかば 野なかのしみづ よどむとも もとのこゝろに まかせつゝ とゞこほりなき みづくきの あとさへあらば いとゞしく つるがをかべの あさひかげ 八千代のひかり さしそへて あきらけき世の なほもさかえむ。
ながゝれと あさゆふいのる 君が代を やまとことばに けふぞのべつる」。


12 有島武郎 「或る女」
 葉子はだれにとも何にともなく息気(いき)を引き取る前に内田の来るのを祈った。
 しかし小石川(こいしかわ)に住んでいる内田はなかなかやって来る様子も見せなかった。
 「痛い痛い痛い……痛い」
 葉子が前後を忘れわれを忘れて、魂をしぼり出すようにこううめく悲しげな叫び声は、大雨のあとの晴れやかな夏の朝の空気をかき乱して、惨(いた)ましく聞こえ続けた。


13 有島武郎 「生まれいずる悩み」
 君よ! 今は東京の冬も過ぎて、梅が咲き椿(つばき)が咲くようになった。太陽の生み出す慈愛の光を、地面は胸を張り広げて吸い込んでいる。春が来るのだ。
 君よ、春が来るのだ。冬の後には春が来るのだ。君の上にも確かに、正しく、力強く、永久の春がほほえめよかし‥‥僕はただそう心から祈る。


14 有島武郎 「惜みなく愛は奪う」
 これは哲学の素養もなく、社会学の造詣ぞうけいもなく、科学に暗く宗教を知らない一人の平凡な偽善者のわずかばかりな誠実が叫び出した訴えに過ぎない。この訴えからいささかでもよいものを聴き分けるよい耳の持主があったならば、そしてその人が彼の為めによき環境を準備してくれたならば、彼もまた偽善者たるの苦しみから救われることが出来るであろう。
 凡てのよきものの上にゆたかなる幸あれ。


15 有島武郎 「カインの末裔」
  二人の男女は重荷の下に苦しみながら少しずつ倶知安くっちゃんの方に動いて行った。
 椴松帯とどまつたいが向うに見えた。すべてのが裸かになった中に、この樹だけは幽鬱ゆううつな暗緑の葉色をあらためなかった。真直な幹が見渡す限り天をいて、怒濤どとうのような風の音をめていた。二人の男女はありのように小さくその林に近づいて、やがてその中に呑み込まれてしまった。


16 有島武郎 「小さき者へ」
 小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。
 行け。勇んで。小さき者よ。


17 有島武郎 「一房の葡萄」
 僕はその時から前より少しいい子になり、少しはにかみ屋でなくなったようです。
 それにしても僕の大好きなあのいい先生はどこに行かれたでしょう。もう二度とは遇(あ)えないと知りながら、僕は今でもあの先生がいたらなあと思います。秋になるといつでも葡萄の房は紫色に色づいて美しく粉をふきますけれども、それを受けた大理石のような白い美しい手はどこにも見つかりません。


18 石川啄木 「一握の砂」
かなしくも
くるまでは残りゐぬ
いききれし児のはだのぬくもり


19 石川啄木 「悲しき玩具」
庭のそとを白き犬ゆけり。
 ふりむきて、
 犬を飼はむと妻にはかれる。


20 泉鏡花 「婦系図
 英吉君、能(あた)うべくは、我意を体して、より美(うつくし)く、より清き、第二の家庭を建設せよ。人生意気を感ぜずや――云々の意を認(したた)めてあった。
 門族の栄華の雲に蔽(おお)われて、自家の存在と、学者の独立とを忘れていた英吉は、日蝕の日の、蝕の晴るると共に、嗟嘆(さたん)して主税に聞くべく、その頭脳は明(あきらか)に、その眼(まなこ)は輝いたのである。


21 泉鏡花 「外科室」
 園を出(い)ずれば丈(たけ)高く肥えたる馬二頭立ちて、磨(す)りガラス入りたる馬車に、三個(みたり)の馬丁(べっとう)休らいたりき。その後九年を経て病院のかのことありしまで、高峰はかの婦人のことにつきて、予にすら一言(こと)をも語らざりしかど、年齢においても、地位においても、高峰は室あらざるべからざる身なるにもかかわらず、家を納むる夫人なく、しかも渠は学生たりし時代より品行いっそう謹厳にてありしなり。予は多くを謂わざるべし。
 青山の墓地と、谷中(やなか)の墓地と所こそは変わりたれ、同一(おなじ)日に前後して相逝(ゆ)けり。
 語を寄す、天下の宗教家、渠ら二人は罪悪ありて、天に行くことを得ざるべきか。


22 泉鏡花 「高野聖」
 高野聖(こうやひじり)はこのことについて、あえて別に註(ちゅう)して教(おしえ)を与(あた)えはしなかったが、翌朝袂(たもと)を分って、雪中山越(せっちゅうやまごえ)にかかるのを、名残惜(なごりお)しく見送ると、ちらちらと雪の降るなかを次第(しだい)に高く坂道を上(のぼ)る聖の姿、あたかも雲に駕(が)して行くように見えたのである。
(明治三十三年)


23 泉鏡花 「夜行巡査」
 八田巡査は、声をはげまし、
「放さんか!」
 決然として振り払えば、力かなわで手を放てる、咄嵯(とっさ)に巡査は一躍して、棄つるがごとく身を投ぜり。お香はハッと絶え入りぬ。あわれ八田は警官として、社会より荷(にな)える負債を消却せんがため、あくまでその死せんことを、むしろ殺さんことを欲しつつありし悪魔を救わんとて、氷点の冷、水凍る夜半(よわ)に泳ぎを知らざる身の、生命とともに愛を棄てぬ。後日社会は一般に八田巡査を仁なりと称せり。ああはたして仁なりや、しかも一人の渠(かれ)が残忍苛酷(かこく)にして、恕(じょ)すべき老車夫を懲罰し、憐(あわれ)むべき母と子を厳責したりし尽瘁(じんすい)を、讃歎(さんたん)するもの無きはいかん。


24 伊藤左千夫 「野菊の墓」
 思へば、人の申候ほど死ぬる事は可恐(おそろし)きものに無御座候(ござなくさふらふ)。私は今が今此儘(このまま)に息引取り候はば、何よりの仕合(しあはせ)と存参(ぞんじまゐ)らせ候。唯後(ただあと)に遺(のこ)り候親達の歎(なげき)を思ひ、又我身生れ効(がひ)も無く此世の縁薄く、かやうに今在る形も直(ぢき)に消えて、此筆(このふで)、此硯(このすずり)、此指環、此燈(このあかり)も此居宅(このすまひ)も、此夜も此夏も、此の蚊の声も、四囲(あたり)の者は皆永く残り候に、私独(ひと)り亡(な)きものに相成候て、人には草花の枯れたるほどにも思はれ候はぬ儚(はかな)さなどを考へ候へば、返す返す情無く相成候て、心ならぬ未練も出(い)で申候(まをしさふらふ)。

25 上田敏訳詩集  「海潮音」
海光      ガブリエレ・ダンヌンチオ

児等(こら)よ、今昼は 真盛(まさかり)、日こゝもとに照らしぬ。
寂寞大海(じやくまくだいかい)の 礼拝(らいはい)して、
天津日(あまつひ)に捧ぐる 香(こう)は、
浄(きよ)まはる 潮(うしほ)のにほひ、
轟(とどろ)く 波凝(なごり)、 動(ゆる)がぬ 岩根(いはね)、 靡(なび)く藻よ。
黒金(くろがね)の船の 舳先(へさき)よ、
岬代赭色(みさきたいしやいろ)に、獅子の 蹈留(ふみとどま)れる如く、
足を延べたるこゝ、 入海(いりうみ)のひたおもて、
うちひさす都のまちは、
煩悶(わづらひ)の壁に悩めど、
鏡なす 白川(しらかは)は 蜘手(くもて)に流れ、
風のみひとり、たまさぐる、
洞穴口(ほらあなぐち)の花の錦や。


26 岡本かの子  「母子叙情」
かの女もこの手紙へ今さら返事を書こうとはしなかった。しかし規矩男。規矩男。訣れても忘れている規矩男ではなかった。厳格清澄なかの女の母性の中核の外囲に、 匂(にお)うように、 滲(にじ)むように、傷むように、規矩男の 俤(おもかげ)はかの女の 裡(うち)に居た。
今改めてかの女はかの女の中核へ規矩男の俤を連れ出してみようか――今やかの女のむす子を十分な成育へ送り届け、苦労も諸別もしつくしたかの女の母性は、むしろ和やかに手を差し延べてそれを迎え、かの女の夫の逸作の如く、
「君も若いうちに苦労したのだ。 見遺(みのこ)した夢の名残りを 逐(お)うのもよかろう」
斯(こ)うもかの女にもの分りよく云うであろうか。

君が 行手(ゆくて)に雲かかるあらばその雲に
雪積まば雪に問へかしわれを。

君行きて心も 冥(くら)く 白妙(しらたへ)に
降るてふ夜の雪 黝(くろ)み見ゆ。


27 岡本かの子 「老妓抄」
 真夏の頃、すでに某女に紹介して俳句を習っている筈の老妓からこの物語の作者に珍らしく、和歌の添削の詠草が届いた。作者はそのとき偶然老妓が以前、和歌の指導の礼に作者にこしらえてくれた中庭の池の噴水を眺める縁側で食後の涼をれていたので、そこで取次ぎから詠草を受取って、池の水音を聴きながら、非常な好奇心をもって久しぶりの老妓の詠草を調べてみた。その中に最近の老妓の心境がうかがえる一首があるので紹介する。もっとも原作に多少の改削を加えたのは、師弟の作法というより、読む人への意味の疏通そつうをより良くするために外ならない。それは僅に修辞上の箇所にとどまって、内容は原作をきずつけないことを保証する。
年々にわが悲しみは深くして
  いよよ華やぐいのちなりけり


28 尾崎紅葉 「金色夜叉」
 思へば、人の申候ほど死ぬる事は可恐(おそろし)きものに無御座候(ござなくさふらふ)。私は今が今此儘(このまま)に息引取り候はば、何よりの仕合(しあはせ)と存参(ぞんじまゐ)らせ候。唯後(ただあと)に遺(のこ)り候親達の歎(なげき)を思ひ、又我身生れ効(がひ)も無く此世の縁薄く、かやうに今在る形も直(ぢき)に消えて、此筆(このふで)、此硯(このすずり)、此指環、此燈(このあかり)も此居宅(このすまひ)も、此夜も此夏も、此の蚊の声も、四囲(あたり)の者は皆永く残り候に、私独(ひと)り亡(な)きものに相成候て、人には草花の枯れたるほどにも思はれ候はぬ儚(はかな)さなどを考へ候へば、返す返す情無く相成候て、心ならぬ未練も出(い)で申候(まをしさふらふ)。

29 織田作之助 「夫婦善哉(めおとぜんざい)」
 蝶子と柳吉はやがて浄瑠璃に凝(こ)り出した。二ツ井戸天牛書店の二階広間で開かれた素義大会で、柳吉は蝶子の三味線で「太十(たいじゅう)」を語り、二等賞を貰った。景品の大きな座蒲団は蝶子が毎日使った。 (昭和十五年八月)

 



 
 
Google
 
 
ちょっと便利帳目次へ
 

お気付きの点,情報などがごさいましたら,こちらからお知らせください
ご質問にはお答え致しかねます。ご了承下さい。

© みんなの知識委員会. All rights reserved.