| 外郎売 [ういろううり] とは |
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歌舞伎十八番(かぶきじゅうはちばん)の中の演目
原題名:若緑勢曾我(わかみどりいきおいそが)
初演:1718年(享保/きょうほう3年)正月*。二代目市川團十郎
初演劇場:森田座 (江戸) |
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曾我十郎が、小田原の「透頂香/とうちんこう(通称/外郎=ういろう)」という薬を売り歩く商人の扮装で現れ、妙薬の由来や効能を弁舌さわやかに述べ立てる。宣伝口上の「言い立て」で、早口言葉を含む長台詞の雄弁術が眼目の役と演技。曾我十郎は五郎にすることもある。 |
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1922年(大正11年)9月、市川三升(十代目團十郎)が復活上演した作(平山晋吉脚本)、1940年(昭和15年)5月、十一代目團十郎が『歌舞伎十八番の内 ういろう』として復活した作(川尻清潭脚本)、1980年(昭和55年)5月、海老蔵時代の十二代目團十郎が復活した作(野口達二脚本)とがあり、現在は野口達二脚本が上演されている。 |
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1980年(昭和55年)5月の復活に当たって当時の海老蔵は、1922年(大正11年)及び1940年(昭和15年)の復活の際に「言い立て」が台詞としては演じられなくなくなっていたものを、何とか復活させたいと腐心し、講釈師のテープの断片を見つけ野口達二が「言い立て」を入れて台本を書き、この際、厖大な量の「言い立て」を大薩摩を入れて「ちょうどいい寸法」にしたと言う。 |
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歌舞伎十八番(かぶきじゅうはちばん)は、成田屋の家の芸の集大成で、七代目團十郎が「市川流」の「歌舞妓狂言組十八番」の制定を公表したのは、1832年(天保3年)3月の市村座。この舞台で七代目は「助六」を演じ、息子海老蔵(えびぞう)に八代目團十郎を襲名させて自分は海老蔵と改名した。歌舞伎十八番に含まれた狂言は、いずれも初代・二代目・四代目によって初演されたものの中から選ばれている。 |
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「外郎(ういろう)」とは、神奈川県小田原市で作られている大衆薬の一種。正しくは透頂香(とんちんこう)で、江戸時代には去痰をはじめとして万能薬として知られ、現在では口中清涼・消臭等に使用するという。 |
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「外郎売 (ういろううり)」の台詞は、現代では演劇学校やアナウンサー養成などで、発声や滑舌の練習のために教材としても使われている。 |
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教材としては様々な表記や表現、読み方が出回っており、このサイトに掲載したものもその一つの例で、また、現在実際に演じられる歌舞伎のそれとは違う部分もある。 |
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「外郎売」の脚本は、元々、江戸変体仮名で書かれていたであろうことや、江戸時代からの口伝を、現代になって漢字交じりの文章や印刷物にした際に様々な解釈や表現が出たものと思われ、また、実際の舞台でも言い回しを変えることもあるということで、ここに掲載したものが「正しいもの」ということではなく、むしろ色々あることの方が不思議ではない。 |
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| 参考文献: |
十二代目市川團十郎著『歌舞伎十八番』(2002年 河出書房新社)
演劇百科事典 (1960年 平凡社)
歌舞伎辞典 (1983年初版/2000年新訂増補版 平凡社) など |
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平凡社/演劇百科事典(1984年初版10刷)では、初演の月を「3月」としている。 |
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なお、平凡社/歌舞伎辞典 (2000年新訂増補版)では、「享保3年」を「1716年」としているが、「1718年」の誤記と思われる。 |
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