肥後國熊本の御領分、眞字といふ所に、夜な〳〵光物出て、人を呼ぶ、其の聲猿の如し、同家中柴田五郎左衛門といふ人、見届けしに、我れは海中に住む、アマビコといふ者也、今年より六ヶ年の間豊作、併しながら諸國病多く、人間六分は死す、然れども我が姿を書きしを見るものは、病にあはず、早々此の事諸國へ相觸れ候樣と申し置き、何國とも知らずうせにけり、天保十四年八月