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開眼供養
かいげんくよう
作家
作品

和辻哲郎

【古寺巡礼】

 まず舞台である。大仏開眼供養の記事には舞台の記述がまるでないが、貞観三年の「開眼供養記」はかなり具体的にその構造をしるしている。この開眼供養は大仏の頭が地に堕ちたのを修繕した時のことで、最初の開眼供養からすでに百年以上の年月を経たのちである。その間に文化一般の非常な変遷があり、それに伴って音楽の大改革もあった。従ってこの際の記述をもって直ちに天平時代の光景を推測することはできない。しかし幾分の参考にはなるであろう。第一に舞台は戸外に設けられた。すなわち大仏殿前の広場である。これは天平時代にも同様であったらしい。楽人たちが左右に分かれて堂前に立ったという記述からそう推測しても間違いはあるまい。次に舞台は木造の高壇であった。方八丈、周囲に高欄をめぐらし、四面に額をかける。舞台上東西には宝樹八株ずつを植え、その側に礼盤らいばん一基ずつを据える。他に玉幡ぎょくばんをかける高座二基、高さ三丈三尺のひょう一基などが、恐らく舞台の近くに設けられたらしい。また別に広さ二丈長さ四丈の小舞台が、大殿中層南面に造られた。これらの構造が天平時代にもあったかどうかは疑わしい。少なくとも開眼供養の時には、 踏歌とうかの類はじかに庭の上で演ぜられたのである。東西発声、分庭而奏(続紀)とある。伎楽などのために別に舞台が設けられていたかとも思われるが、どうも明らかでない。

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高楠順次郎

【東洋文化史における仏教の地位】

 それでバラモン僧正が来ると直ぐ僧正に任ぜられて、時服を賜い荘田を与えられて大安寺に寓せしめられた。大仏が立つ時になると、バラモン僧正は開眼供養の大導師を命ぜられ、臨邑の仏哲に大音楽師として楽隊の長とならしめられた。そして開眼供養を行われる。東大寺の開基というのは聖武天皇とバラモン僧正、行基。行基は建った時には死んでおりますから、開眼供養には臨まなかったのですが、これも開山に加えられている。それからいま一人は行基の弟子で一番偉い良弁僧正、この四人が開基になっている。

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太宰治

【右大臣実朝】

建保四年丙子。正月小。十七日、辛未、霽、将軍家の御持仏堂の御本尊、運慶造り奉り、京都より渡し奉らる、開眼供養の事有る可し、信濃守行光奉行として其沙汰有り。廿八日、壬午、晴、姶めて御本尊を御持仏堂に安置す、即ち供養の儀有り。

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折口信夫

【死者の書】

家持は、此が多聞天か、と心に問いかけて居た。だがどうも、そうは思われぬ。同じ、かたどって作るなら、とつい聯想れんそうれて行く。八年前、越中国から帰った当座の、世の中の豊かな騒ぎが、思い出された。あれからすぐ、大仏開眼供養が行われたのであった。其時、近々と仰ぎ奉った尊容、八十 種好しゅごう具足した、とわれる其相好が、誰やらに似ている、と感じた。其がその時は、どうしても思い浮ばずにしまった。その時の印象が、今ぴったり、的にあてはまって来たのである。

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中里介山

【大菩薩峠 壬生と島原の巻】

「名からしてふさわしいと言うものじゃ、地蔵菩薩大菩薩、なんとよい思いつきだろう」
「そりゃ方丈様、いい思いつきだ」
「賛成かな。それで与八、出来上ってからここで 開眼供養かいげんくようというのをやって、それから大菩薩峠の頂へ安置あんちする」
「なるほど」

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Last updated : 2022/11/23