門前雀羅
もんぜんじゃくら
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作家
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作品
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【侏儒の言葉】
或弁護
或新時代の評論家は「蝟集する」と云う意味に「門前
雀羅
を張る」の成語を用いた。「門前雀羅を張る」の成語は支那人の作ったものである。それを日本人の用うるのに必ずしも支那人の用法を踏襲しなければならぬと云う法はない。もし通用さえするならば、たとえば、「彼女の
頬笑みは門前雀羅を張るようだった」と形容しても好い
筈である。
もし通用さえするならば、――万事はこの不可思議なる「通用」の上に懸っている。たとえば「わたくし小説」もそうではないか? Ich-Roman と云う意味は一人称を用いた小説である。必ずしもその「わたくし」なるものは作家自身と定まってはいない。が、日本の「わたくし」小説は常にその「わたくし」なるものを作家自身とする小説である。いや、時には作家自身の閲歴談と見られたが最後、三人称を用いた小説さえ「わたくし」小説と呼ばれているらしい。これは勿論独逸人の――或は全西洋人の用法を無視した新例である。しかし全能なる「通用」はこの新例に生命を与えた。「門前雀羅を張る」の成語もいつかはこれと同じように意外の新例を生ずるかも知れない。
すると或評論家は特に学識に乏しかったのではない。唯聊か時流の外に新例を求むるのに急だったのである。その評論家の揶揄を受けたのは、――兎に角あらゆる先覚者は常に薄命に甘んじなければならぬ。
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【婦系図】
「それにもう内が台なしですからね、私が一週間も居なかった日にゃ門前
雀羅
を張るんだわ。手紙一ツ来ないんですもの。今朝起抜けから、自分で払を持つやら、掃出すやら、大騒ぎ。まだちっとも片附ないんですけれど、貴下も詰らなかろうし、私も早く逢いたいから、可い加減にして、直ぐに車を持たせて、大急ぎ、と云ってやったんですがね。
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【名士訪問記 ――佐野昌一氏訪問記――】
いや、たいへんな弁理士もあったものである。なるべく仕事は少い方がいいという。これでは折角の佐野電気特許事務所も気の毒ながら間もなく門前雀羅と相成るであろう。だがまた考え直してみると、この気の小さな男があのようなことをいうについては、なにか深く掴んでいる真理があるのかもしれない。話をしているうちに、だんだんこわくなったので、この辺が引揚の潮時だと、椅子から尻をあげた。どうやら、僕の敗退の巻らしい。
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【特許多腕人間方式】
雫の垂れた洋傘をひっさげて、部屋の扉を押して入ったとたんに、応接椅子の上に、腰を下ろしていた見慣れぬ仁が、ただならぬ眼光で、余の方をふりかえった。
事件依頼の客か。門前雀羅のわが特許事務所としては、ちかごろ珍らしいことだ。
「よう、先生。特許弁理士の加古先生はあんたですな」
と、客は、余がオーバーをぬぐのを待たせない。
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Last updated : 2025/09/19