摂取不捨
せっしゅふしゃ
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作家
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作品
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【病牀六尺】
○泥棒が阿弥陀様を念ずれば阿弥陀様は
摂取不捨の誓によつて往生させて下さる事疑なしといふ。これ真宗の論なり。この間に善悪を論ぜざる処宗教上の大度量を見る。しかも他宗の人はいふ、泥棒の念仏にはなほ不安の状態あるべしと。泥棒の信仰については仏教に限らず耶蘇教にもその例多し。彼らが精神の状態は果して安心の地にあるか、あるいは不安を免れざるか、心理学者の研究を要す。
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【親鸞】
『正像末和讃』の首めには次の讃歌が掲げられてある。
弥陀の本願信ずべし
本願信ずるひとはみな
摂取不捨の利益にて
無上覚をさとるなり
この一首は康元二年二月九日夜、夢告に成るものである、と親鸞はみずから記している。
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【行乞記 (三)】
起きたい時に起き、寝たい時に寝る、食べたくなれば食べ、飲みたくなれば飲む(在る時には――である)。
今日は三時起床、昨夜の残滓を飲んで食べる。
何といつても朝酒はうまい、これに朝湯が添へば申分なし。
今朝の御飯はよく炊けた(昨朝の工合の悪さはどうだつた)。
よく食べた、そして自分の自炊生活を礼讃した、その一句として、一粒一滴摂取不捨。
めづらしい晴れ、とき/″\しぐれ、好きな天候。
摘んできて雑草を活ける、今朝は露草、その瑠璃色は何ともいへない明朗である。
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【源氏物語 榊】
僧にはこんな仕事があって退屈を感じる間もなかろうし、未来の世界に希望が持てるのだと思うとうらやましい、自分は自分一人を持てあましているではないかなどと源氏は思っていた。律師が尊い声で「念仏衆生
摂取不捨」と唱えて勤行をしているのがうらやましくて、この世が自分に捨てえられない理由はなかろうと思うのといっしょに紫の女王が気がかりになったというのは、たいした道心でもないわけである。幾日かを外で暮らすというようなことをこれまで経験しなかった源氏は恋妻に手紙を何度も書いて送った。
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【本朝変態葬礼史】
思ひ切りたる道なれど、今を限りの浪の上、さこそ心細かりけめ、三月の末の事なれば春も既に暮れぬ。海上遥かに霞こめ浦路の山も幽なり。沖の釣船の沈の底に浮き沈むを見給ふにも、我身の上とぞ思はれける。(中略)念仏高く唱へて、光明遍照、十方世界、念仏衆生、摂取不捨と誦し給ひつゝ海にこそ入り給ひける』とあるのは、熊野で死ねば浄土に往かれると云う信仰が在ったためである。こうした信仰は長く同地を補陀洛渡海の
解纜地としたのである。
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Last updated : 2025/09/19