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▼参考書
張三李四
ちょうさんりし
作家
作品

芥川龍之介

【 わが家の古玩 】

わが 吉利支丹(キリシタン)の徒の事蹟を記(き)せるを以て、所謂(いはゆる)「南蛮もの」を蔵すること多からんと思ふ人々もなきにあらざれども、われは数冊の古書の外(ほか)に一体のマリア観音(くわんおん)を蔵するに過ぎず。若しわれをしも蒐集家(しうしふか)と言はば、 張三李四(ちやうさんりし)の徒も蒐集家たるべし。然れどもわが友に小穴一游亭(をあないちいうてい)あり。若し千古の佳什(かじふ)を得んと欲すれば、必(かならず)しもかの書画家の如く叩頭百拝(こうとうひやくはい)するを須(もち)ひず。当来の古玩(こぐわん)の作家を有するは或は古玩を有するよりも多幸なる所以(ゆゑん)なり。

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芥川龍之介

【 骨董羹 ―寿陵余子の仮名のもとに筆を執れる戯文― 】

 君見ずや。本阿弥(ほんあみ)の折紙(をりかみ)古今(ここん)に変ず。羅曼(ロマン)派起つてシエクスピイアの名、四海に轟く事迅雷(じんらい)の如く、羅曼派亡んでユウゴオの作、八方に廃(すた)るる事霜葉(さうえふ)に似たり。茫々たる流転(るてん)の相(さう)。目前は泡沫、身後(しんご)は夢幻。智音(ちいん)得可からず。衆愚度し難し。フラゴナアルの技(ぎ)を以太利(イタリイ)に修めんとするや、ブウシエその行(かう)を送つて曰(いはく)、「ミシエル・アンジユが作を見ること勿(なか)れ。彼が如きは狂人のみ」と。ブウシエを哂(わら)つて俗漢と做(な)す。豈(あに)敢(あへ)て難しとせんや。遮莫(さもあらばあれ)千年の後(のち)、天下靡然(びぜん)としてブウシエの見(けん)に赴(おもむ)く事無しと云ふ可らず。白眼(はくがん)当世に傲(おご)り、長嘯(ちやうせう)後代を待つ、亦(また)是(これ)鬼窟裡(きくつり)の生計のみ。何ぞ若(し)かん、俗に混じて、しかも自(みづか)ら俗ならざるには。籬(まがき)に菊有り。琴(こと)に絃(げん)無し。南山(なんざん)見来(きた)れば常に悠々。寿陵余子(じゆりようよし)文を陋屋(ろうをく)に売る。願くば一生後生(こうせい)を云はず、紛々(ふんぷん)たる文壇の 張三李四(ちやうさんりし)と、トルストイを談じ、西鶴(さいかく)を論じ、或は又甲主義乙傾向の是非曲直を喋々(てふてふ)して、遊戯三昧(ざんまい)の境(きやう)に安んぜんかな。(五月二十六日)

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神西清

【 飜訳遅疑の説 】

 そこで、単にぶざまさと言っただけでは話が通じないし、かと言って一々その実例を挙げていたのでは際限がないしするので、なかんずく最も愛想の尽きるものとして、抽象表現に芸術的に堪(た)えぬこと、及び音律の貧しさ、この二つを挙げてみる。要するに言語としての包摂力が乏しいということである。もちろん創作家が身辺雑記に沈湎(ちんめん)し、或いは概念を伝達すればこと足る底のイズム小説に終始し、或いは張三李四を相手の世相小説に甘んじている間は、彼らにとって現代日本語はまことに必要にして十分かも知れぬ。だが僕のひそかに 惧(おそ)れるのは、もし日本の小説道がさらに進展して、例えば高度の観念的要素とでもいったものの表現を迫られた時、この日本語は果してその芸術的容器として堪えるであろうか、ということなのである。

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国枝史郎

【 沙漠の古都 】

 ラシイヌはゆるやかに歩みながら、捨て目捨て耳を働かせて、彼らの様子を窺った。そうして心で罵った。
「フン、いくらでも唄うがいい、巨魁来巨魁来巨魁来か! どんな巨魁だかこの俺にはちゃあんと解っておいで遊ばすのだ。どんな野郎が来たところでこの鼻ちゃんは驚かない。どんな野郎でもとっ捕えて見せる。俺達の目的を妨げる奴は張三李四のお構いなく地獄の釜の中へたたき込んで見せる?」

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Last updated : 2025/12/26