幣原喜重郎元首相が行った
憲法改正草案要綱の発表の経過についての説明

幣原喜重郎(1872-1951)
幣原喜重郎(1872-1951)
写真:幣原平和財団

 1946年・昭和21年()の11月3日に公布され、1947年・昭和22年()の5月3日から施行された「日本国憲法(にほんこくけんぽう)」の誕生に関わった幣原喜重郎(しではらきじゅうろう) 首相は、1946年・昭和21年3月20日の枢密院会議において3月6日の憲法改正草案要綱の発表の経過について説明を行い、憲法改正草案が4月17日に枢密院に下付されるのに先立ってその経過について報告し了解を求めた。

 その中で幣原首相は、
「草案ノ中特ニ重要ナル点ハ国体ノ本義ニ関係スル第一ト戦争ノ抛棄ヲ宣言シタ第九デアルト思フ」と述べ説明を行った。 

 下記引用は、その中の「第九条・戦争の放棄」に関する部分で、国立国会図書館によって公開されているその時の発言の要旨の一部である。

《引用 1 》
第九(だいく)は何処(どこ)の憲法(けんぽう)にも類例(るいれい)はないと思(おも)う。日本(にほん)が戦争(せんそう)を放棄(ほうき)して他国(たこく)も之(これ)について来(く)るか否(いな)かに付(つい)ては余(よ)は今日(こんにち)直(ただち)にそうなるとは思(おも)わぬが、戦争放棄(せんそうほうき)は正義(せいぎ)に基(もとづ)く正(ただ)しい道(みち)であって日本(にほん)は今日(こんにち)此(こ)の大旗(たいき)を掲(かか)げて国際社会(こくさいしゃかい)の原野(げんや)をとぼとぼと歩(ある)いてゆく。

《引用 2 》
之(これ)につき従(したが)う国(くに)があるなしに拘(かかわ)らず正(ただ)しい事(こと)であるから敢(あえ)えて之(これ)を行(おこな)うのである。原子爆弾(げんしばくだん)と云(い)い、又(また)更(さら)に将来(しょうらい)より以上(いじょう)の武器(ぶき)も発明(はつめい)されるかも知(し)れない。今日(こんにち)は残念乍(ざんねんなが)ら各国(かっこく)を武力政策(ぶりょくせいさく)が横行(おうこう)して居(い)るけれども此処(ここ)二十年(にじゅうねん)三十年(さんじゅうねん)の将来(しょうらい)には必(かなら)ず列国(れっこく)は戦争(せんそう)の放棄(ほうき)をしみじみと考(かんが)えるに違(ちが)いないと思(おも)う。

《引用 3 》
其(そ)の時(とき)は余(よ)は既(すで)に墓場(はかば)の中(なか)に在(あ)るであろうが余(よ)は墓場(はかば)の蔭(かげ)から後(うしろ)をふり返(かえ)って列国(れっこく)が此(こ)の大道(だいどう)につき従(したが)って来(く)る姿(すがた)を眺(なが)めて喜(よろこ)びとしたい。

《引用 4 》
余(よ)は此(こ)の考(かんが)えが甘(あま)い考(かんが)えだと云(い)う人(ひと)があるかも知(し)らぬが、確(かた)く信(しん)じて疑(うたが)わぬのである。

㊙

二十一年三月二十日枢密院に於ける幣原総理大臣の憲法草案に関する説明要旨

(一)

去る二月十一日余はマ司令官と長時間に亘り会談し同司令官が日本国天皇に対し包懐せる所見を聴くを得た。又其の席上将来の日本国管理に関し濠洲及ソ連側の態度に関しても言及する所があった。共に日本に対し一種の恐日病的状態に陷ち居る如く考えらるるのである。濠洲の態度に付ては余の滞英中にも種々感ずる所があった。

(二)

二月二十七日以来マ司令部は急に政府に対し憲法草案の内容を強く要求するに至った。政府は昨秋組閣以来憲法改正に関しては松本国務相を主任として研究を重ねて来たが其の後の内外の情勢に鑑み一案を作成し之を松本国務相試案として三月四日マ司令部に内示したのである。政府は一応之を内示しても尚充分政府として研究補正の余裕あるべきことを期待して居ったが、右内示を為すや否や司令部は急速に之が研究を要求し司令部側と内閣側の係官が一堂に会し徹夜して之を検討し、マ司令官自身も深更に至る迄之に関与し、三月五日朝に至って大体の草案がぼつぼつと出来上り之が出来るに従って内閣に報告せられ来った。
  依って之を閣議に於て討議し夕刻迄に其の大部分を了した。併し草案の全部が出来上った訳ではなかったが、大体の方向を見極めることが出来たので夕方参内、内奏し奉った所陛下から有難き激励的勅語を賜った次第である。
  三月五日の夜は内閣に於て法制局其の他の係官が徹夜の上草案の検討を重ね、六日朝に至り漸く全部の草案を脱稿したので同日臨時閣議に諮り之を夕方中外に発表するに至った。

(三)

草案の中特に重要なる点は国体の本義に関係する第一と戦争の放棄を宣言した第九であると思う。第一は従来天皇は世襲の御威光に依り其の御地位に在ったのであるが将来は国民至高の総意に基き其の御地位に在らせらるることとなるのであって皇位の淵源は之に依り一層深く一層確いこととなった。国民が天皇を奉戴すると云う点、此の点に深い意味が在るものと考えるのであって二千余年培われた国民精神は過日の天皇の横浜地方御巡幸の際の御様子を拝してもよく判ると思う。余は之に依り皇室の御安泰は永久に保持さるるものと確信するのである。
  次に第九は何処の憲法にも類例はないと思う。日本が戦争を放棄して他国も之について来るか否かに付ては余は今日直にそうなるとは思わぬが、戦争放棄は正義に基く正しい道であって日本は今日此の大旗を掲げて国際社会の原野をとぼとぼと歩いてゆく。之につき従う国があるなしに拘らず正しい事であるから敢えて之を行うのである。原子爆弾と云い、又更に将来より以上の武器も発明されるかも知れない。今日は残念乍ら各国を武力政策が横行して居るけれども此処二十年三十年の将来には必ず列国は戦争の放棄をしみじみと考えるに違いないと思う。其の時は余は既に墓場の中に在るであろうが余は墓場の蔭から後をふり返って列国が此の大道につき従って来る姿を眺めて喜びとしたい。
  以上は戦争放棄の条項に関し外国新聞記者に語った余の所感であるが、余は此の考えが甘い考えだと云う人があるかも知らぬが、確く信じて疑わぬのである。

(四)

尚申添えたきは二月末頃からの国際状勢である。其後の新聞電報に依れば極東委員会が日本の今回の憲法草案が突如発表されたことに対し不満の意を洩らして居るようである。
  御承知の通り極東諮問委員会は改組されて極東委員会と対日理事会の二つになったが、極東委員会と云うのは恰も国内に於ける国会の如く極東問題処理に関しては其の方針政策を決定する強力なる機関であり実力を有するものであって、之が二月二十六日ワシントンに開催され其の際日本憲法草案の発表に関する論議があり、マ司令官の態度を批難するが如き様子が見えたのではないかと思う。マ司令官は其の為に急に憲法草案の発表を急ぐことになったものの如く、マ司令官は極めて秘密裡に此の草案の取纏めが進行し全く外部に洩れることなく成案を発表し得るに至ったことを非常に喜んで居る旨を聞いた。此等の状勢を考えると今日此の如き草案が成立を見たことは日本の為に誠に喜ぶべきことで、若し時期を失した場合には我が皇室の御安泰の上からも極めて懼るべきものがあったように思われ危機一発とも云うべきものであったと思うのである。

以上


    《注》
    • 原文は片仮名で表記されているが、ここでは平仮名表記に変更した。
    • 旧仮名遣い(歴史的仮名遣い)を、新仮名遣い(現代仮名遣い)に変更した。
    • 「ソ聯」「所憾」「今囘」の字体を、それぞれ「ソ連」「所感」「今回」とした。
    • 「戦争の抛棄」の「抛」の字は、憲法の文言の表記に合わせ「放」とし、「戦争の放棄」とした。
    • 文章の最後の部分に出て来る「危機一発」は、「危機一髪」の誤りと思われるが原文のままとした。
    • 前段の引用では原文にはない振り仮名を付けた。
    • 原文は「国立国会図書館・電子展示会「日本国憲法の誕生」」で見ることができる。画像版とテキスト版が公開されている。


Last updated : 2025/12/26