地図で見る隅田川の渡し= 梶原の渡し = 地図で見る隅田川の渡し地図目次 《梶原の渡し》 「船宮の渡し」とも称された。足立郡江北村(現在の足立区宮城付近)から、堀船(現在の北区堀船4丁目)にあった下野紡績工場へと通う女工たちの通勤用に、両岸の有志によって1908年(明治41年)に作られたという記録が残る。当初の運賃は大人一銭、子供五厘、荷車一銭五厘、自転車一銭。駒込の市場への出荷の車を、戦争の頃は足立の軍需工場へ通う人々を、戦後は梶原銀座への買い物客らを、何往復もして運んだ渡しだったが、交通路の発展に伴い1961年(昭和36年)に廃止された。北区の白山堀公園奥に案内板が設置されている。 Wikipedia 《梶原の渡し》 *初期設定の左の地図は「関東平野迅速測図」と呼ばれる地図で、明治前期の、明治13年〈1880年〉から明治19年〈1886年〉にかけての関東平野。 *初期設定での地図の中心点が渡船場付近。 地図を拡大 地図で見る隅田川の渡し目次