地図で見る隅田川の渡し= 竹屋の渡し = 地図で見る隅田川の渡し地図目次 《竹屋の渡し》 「竹家の渡し」、「向島の渡し」とも称された。待乳山聖天のふもとにあったことから「待乳(まつち)の渡し」とも称される。「竹屋」の名は付近にあった茶屋の名に由来するという。現在の言問橋のやや上流にあり、山谷堀から 向島三囲(みめぐり)神社(墨田区向島二丁目)を結んでいた。付近は桜の名所であり、花見の時期にはたいへん賑わったという。文政年間(1818年 - )頃には運行されており、1933年(昭和8年)の言問橋架橋前後に廃された。近くの台東区スポーツセンター広場に渡し跡の碑がある。 Wikipedia 司馬江漢「三囲景」(天明3年〈1783年〉) (国立国会図書館蔵) 長谷川雪旦「江戸名所図会」 「三囲稲荷社」(竹屋の渡し) (国立国会図書館蔵) *絵には「竹屋の渡し」の表記はないが、「すみた川(すみだ川)」の三囲稲荷(みめぐりいなり)の門前へ舟が着いていることから、「竹屋の渡し」の渡し口が描かれていると思われる。 《竹屋の渡し》 *初期設定の左の地図は「関東平野迅速測図」と呼ばれる地図で、明治前期の、明治13年〈1880年〉から明治19年〈1886年〉にかけての関東平野。 *初期設定での地図の中心点が渡船場付近。 *関東平野迅速測図では、「今戸渡」と表記されるが、ここが「三囲稲荷」であると思われることから誤記かとも思われる。今戸の渡しは、右の地図で見る桜橋より上流にあったとされる。 地図を拡大 地図で見る隅田川の渡し目次