地図で見る隅田川の渡し= 山の宿の渡し = 地図で見る隅田川の渡し地図目次 《山の宿の渡し》 現在の東武鉄道隅田川橋梁の付近にあった渡し。渡しのあった花川戸河岸付近は「山の宿町」と呼ばれ、その町名をとって命名された。そのため「花川戸の渡し」と称されたり、東岸の船着場が北十間川の枕橋のたもとにあったので「枕橋の渡し」とも称される。渡船創設年代は不明だが、江戸中期には運行されていたと考えられる。浅草寺への参拝客や、墨堤の花見客などで賑わった。隅田公園内に渡し跡の碑がある。 Wikipedia 明治後期の印刷とされる、枕橋の渡し(山の宿の渡し)の絵葉書。ボストン美術館の説明によれば、この渡しは1907年〈明治40年〉に廃止されたとされる。奥に浅草寺が写る。 「東京枕橋渡舟」[絵葉書]明治後期 (ボストン美術館蔵) 《山の宿の渡し》 *初期設定の左の地図は「関東平野迅速測図」と呼ばれる地図で、明治前期の、明治13年〈1880年〉から明治19年〈1886年〉にかけての関東平野。 *初期設定での地図の中心点が渡船場付近。 地図を拡大 地図で見る隅田川の渡し目次