地図で見る隅田川の渡し
= 富士見の渡し =

《富士見の渡し》
舟上から富士山が良く見渡せたのでこの名がついたと言われている。江戸幕府の米蔵が付近にあったので「御蔵の渡し」とも称された。現在の蔵前橋の下流側にあたる場所にあった。関東大震災の発生前まで運行されていたが、震災発生により消滅。後に震災復興事業によって蔵前橋が架橋され、渡しが再開されることはなかった。 Wikipedia 
《富士見の渡し》
*初期設定の左の地図は「関東平野迅速測図」と呼ばれる地図で、明治前期の、明治13年〈1880年〉から明治19年〈1886年〉にかけての関東平野。
*初期設定での地図の中心点が渡船場付近。

Last updated : 2025/09/19