地図で見る隅田川の渡し= 中洲の渡し = 地図で見る隅田川の渡し地図目次 《中洲の渡し》 現在の清洲橋の位置にあった渡し。現在日本橋中洲は内陸だが、渡しのあった当時は水路があり、まさに中洲で無人の荒地だった。1873年(明治6年)、深川佐賀町に住む青木安兵衛が東京府知事の許可を得て始めたが、はじめ日本橋側の渡船場は箱崎、浜町付近で、中洲の開発が始まる明治40年ごろまで中洲は通過地点でしかなかったと考えられる。清洲橋の架橋に伴い廃された。Wikipedia 1984年に江東区の史跡に指定 された。 [注]Wikipedia では、中洲の渡しの江東区での史跡指定が1986年とされている(2021年10月29日現在)が、これは1984年の誤り。 《中洲の渡し》 *初期設定の左の地図は「関東平野迅速測図」と呼ばれる地図で、明治前期の、明治13年〈1880年〉から明治19年〈1886年〉にかけての関東平野。 *初期設定での地図の中心点が渡船場付近。 地図を拡大 地図で見る隅田川の渡し目次