地図で見る隅田川の渡し= 佃の渡し = 地図で見る隅田川の渡し地図目次 《佃の渡し》 現在の佃大橋付近にあった渡し。はじめは佃島の漁民たちと湊町(湊)とを結ぶ私的な渡しであった。佃島は漁村のほか、藤の花の名所でもあったため、江戸期には不定期に渡船が運行されていたが、日常的に運行されることはなかった。 明治期に入り、佃島や石川島、月島に造船所などが生まれると従業員のための重要な交通機関として発展し、明治9年の運賃記録によると1人5厘の料金だったようである。1883年(明治16年)には定期船の運行が開始、1926年(大正15年)[5]に運営が東京市に移管された。翌昭和2年3月には無料の曳船渡船となった。一日に70往復という賑わった渡しであったが、1964年(昭和39年)8月27日、佃大橋(約800メートル)架橋に伴い廃された。佃大橋両岸に渡し跡の碑が残る。架橋後は造船所を中心に更に大きく賑わい、混雑した。 Wikipedia 《参考》「佃の渡し(佃島渡船)」について 東京都中央区内の文化財「佃島渡船関係文書」 長谷川雪旦『江戸名所図会・佃島』 左下が船松町(現・湊三丁目)側の渡船場。向かいが佃島。(国立国会図書館蔵) 《佃の渡し》 *初期設定の左の地図は「関東平野迅速測図」と呼ばれる地図で、明治前期の、明治13年〈1880年〉から明治19年〈1886年〉にかけての関東平野。 *初期設定での地図の中心点が渡船場付近。 地図を拡大 地図で見る隅田川の渡し目次