地図で見る隅田川の渡し
= 勝鬨の渡し =

《勝鬨の渡し》
現在の勝鬨橋のやや下流にあった。1905年(明治38年)、当時の京橋区役所が海幸橋と月島を結ぶ渡船を創設、無料の手漕ぎ渡船だった。まさに日露戦争の旅順陥落直後であり、この勝利を記念して海軍の発祥地でもある築地に「勝鬨の碑」を建設。さらに渡船も「勝鬨の渡し」と命名した。後に経営を東京市に移管。1915年(大正4年)には乗船客の増加に汽船に格上げされた。月島の工場群に通勤する労働者に多く利用されたが、1940年(昭和15年)勝鬨橋の架橋に伴い廃された。 Wikipedia 
《勝鬨の渡し》
*初期設定の左の地図は「関東平野迅速測図」と呼ばれる地図で、明治前期の、明治13年〈1880年〉から明治19年〈1886年〉にかけての関東平野。
*初期設定での地図の中心点が渡船場付近。

Last updated : 2025/09/19