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■ Wikipediaによる解説 ■
五稜郭(ごりょうかく)は、江戸時代末期に蝦夷地の箱館(現在の北海道函館市)に建造された稜堡式の城郭である。長野県佐久市の龍岡城など、当時日本で建造された星形の城郭を「五稜郭」と通称するが、一般に「五稜郭」といえば函館のそれを指すことが多い。
建造中の名称は亀田御役所土塁(かめだおんやくしょどるい)、完成後の名称は箱館御役所(はこだておんやくしょ)。柳野城(やなぎのじょう)とも呼ばれる。国の特別史跡に指定され、「五稜郭と箱館戦争の遺構」として北海道遺産に選定されている。
日米和親条約締結による箱館開港に伴い、防衛力の強化と役所の移転問題を解決するため、徳川家定の命により築造された。設計を担当したのは洋式軍学者の武田斐三郎。大砲による戦闘が一般化した後のヨーロッパにおける稜堡式の築城様式を採用し、堡を星型に配置している。総面積、74,990坪(約247,466m²)、施工は土工事を松川弁之助、石垣工事を井上喜三郎、奉行所の建築を中川源蔵が請け負った。
当初は外国の脅威に立ち向かうために築造が計画されたが、脅威が薄れていくとともに築造の目的が国家の威信になった。
五稜郭
(北海道) |
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別名 | 亀田御役所土塁、箱館御役所、柳野城 |
城郭構造 | 稜堡式 |
天守構造 | なし |
築城主 | 江戸幕府 |
築城年 | 1866年 |
主な改修者 | なし |
主な城主 | なし |
廃城年 | 1869年 |
遺構 | 土塁、石垣、堀 |
指定文化財 | 特別史跡 |
位置 | 北緯41度47分48.84秒/東経140度45分25.06秒 |
日米和親条約締結による箱館開港に伴い、防衛力の強化と役所の移転問題を解決するため、徳川家定の命により築造された。設計を担当したのは洋式軍学者の武田斐三郎。大砲による戦闘が一般化した後のヨーロッパにおける稜堡式の築城様式を採用し、堡を星型に配置している。総面積、74,990坪(約247,466m²)、施工は土工事を松川弁之助、石垣工事を井上喜三郎、奉行所の建築を中川源蔵が請け負った。
当初は外国の脅威に立ち向かうために築造が計画されたが、脅威が薄れていくとともに築造の目的が国家の威信になった。
[五稜郭] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2014年4月8日 (火) 02:40 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
(2014年4月8日 (火) 02:40 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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