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■ Wikipediaによる解説 ■
弘前城(ひろさきじょう)は、青森県弘前市にあった城である。別名・鷹岡城、高岡城。江戸時代に建造された天守や櫓などが現存し、また城跡は国の史跡に指定されている。江戸時代には津軽氏が居城し弘前藩の藩庁が置かれた。
江戸時代には弘前藩津軽氏4万7千石の居城として、津軽地方の政治経済の中心地となった。城は津軽平野に位置し、城郭は本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の6郭から構成された梯郭式平山城である。創建当初の規模は東西612メートル、南北947メートル、総面積385,200平方メートルに及んだ。現在は、堀、石垣、土塁等城郭の全容がほぼ廃城時の原形をとどめ、8棟の建築と現存12天守に数えられる内の天守1棟が現存する。現存建築はいずれも、国の重要文化財に指定されている。小説家の司馬遼太郎は紀行文集『街道をゆく - 北のまほろば』で、弘前城を「日本七名城の一つ」と紹介している。
弘前城
(青森県) |
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別名 | 鷹岡城、高岡城 |
城郭構造 | 梯郭式平山城 |
天守構造 | 不詳5層(非現存・1610年築) 御三階櫓(複合式層塔型3層3階・1810年改) 独立式層塔型3層3階(現存) |
築城主 | 津軽為信・信枚 |
築城年 | 1611年 |
主な改修者 | 津軽寧親 |
主な城主 | 津軽氏 |
廃城年 | 1871年 |
遺構 | 現存天守・櫓・門 石垣、土塁、堀 |
指定文化財 | 国の重要文化財(天守・辰巳櫓・丑寅櫓・ 未申櫓・三の丸追手門・三の丸東門・ 二の丸南門・二の丸東門・ 北の郭亀甲門)、国の史跡 |
再建造物 | 二の丸東門与力番所 |
位置 | 北緯40度36分28.93秒/東経140度27分49.7秒 |
[弘前城] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2014年3月25日 (火) 04:31 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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〔弘前城〕日本・青森県
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