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盛岡城
日本・岩手県

盛岡城(もりおかじょう)・岩手県
  Wikipediaによる解説
 盛岡城(もりおかじょう)は岩手県盛岡市(陸奥国岩手郡)にあった城である。国の史跡に指定されている。別名は不来方城(こずかたじょう)であると一般に理解されているが、厳密には盛岡城の前身であり両者は別の城郭である。
盛岡城
(岩手県)
別名 不来方城
城郭構造 連郭式平山城
天守構造 御三階櫓(1842年以降は天守)
不明3重(1633年築)
独立式層塔型3重3階(1676年再 非現存)
築城主 南部信直
築城年 1598年
主な改修者 南部重直
主な城主 南部氏
廃城年 1871年
遺構 石垣、土塁、堀、移築土蔵・門
指定文化財 国の史跡
位置 北緯39度41分59.81秒/東経141度9分0.4秒
 「盛岡城」は南部(盛岡)藩南部氏の居城である。西部を流れる北上川と南東部を流れる中津川の合流地、現在の盛岡市中心部にあった花崗岩丘陵に築城された連郭式平山城である。本丸の北側に二の丸が配され、本丸と二の丸の間は空堀で仕切られ現在は朱塗りの橋が架かっているが、存城当時は廊下橋(屋根のかかった橋)が架けられていた。さらにその北側に三の丸が配され、本丸を囲むように腰曲輪、淡路丸、榊山曲輪が配された。本丸には天守台が築かれたが、幕府への遠慮から天守は築かれず、天守台に御三階櫓が建造され代用とされた。後、1842年(天保13年)に12代利済により天守へと改称されている。
 白い花崗岩で組まれた石垣は、土塁の多い東北地方の城郭の中では異彩を放っている。建造物は明治初頭に解体され、現存するものは少なく、城内に移築された土蔵と、市内の報恩禅寺(名須川町1-5)に移築されたとされる門が残る。なお、移築門については城門であった確証は得られていない。また、清水寺に、いずれかの門か定かではないが城門が、木津屋本店奥土蔵(南大通3-20)、岩手川(旧・浜藤酒造、鉈屋町10番)に土蔵が再移築され現存する。また、徳清倉庫(仙北1-13-7)に二の丸にあった勘定奉行所の一部が移築されている。
[盛岡城] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2014年4月6日 (日) 04:25 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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〔盛岡城〕日本・岩手県



Last updated : 2025/09/19