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■ Wikipediaによる解説 ■
杵築城(きつきじょう)は、大分県杵築市杵築にあった城郭。
杵築城は、室町時代初期に木付氏によって八坂川の河口にある台山(だいやま)の上に築かれた。台山は、北は高山川、東は守江湾に囲まれた天然の要害である。連郭式の平山城で、台山を空堀により4区画に区切られていた。 当初は台山山城に主郭部が設けられたが、慶長元年(1596年)の震災と、慶長2年(1597年)の暴風雨によって天守などが損壊したため、台山北麓に居館が移され、正保2年(1645年)以降は松平氏により山上の郭群が廃止されている。
戦国時代には大友氏と島津氏の戦いの舞台となり、江戸時代には杵築藩の藩庁が置かれた。城跡は、公園として整備され、山上の天守台跡に博物館と展望台を兼ねた模擬天守が建てられている。
杵築城
(大分県) |
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別名 | 木付城、勝山城、臥牛城 |
城郭構造 | 連郭式平山城 |
天守構造 | 不明(1591年 築) 独立式望楼型3層3階(1970年 RC造 模擬) |
築城主 | 木付頼直 |
築城年 | 明徳4年(1393年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 木付氏、前田氏、杉原氏、細川氏、小笠原氏、松平氏 |
廃城年 | 明治4年(1871年) |
遺構 | 石垣 |
指定文化財 | なし |
再建造物 | 模擬天守 |
位置 | 北緯33度24分53.09秒/東経131度37分39.6秒 |
戦国時代には大友氏と島津氏の戦いの舞台となり、江戸時代には杵築藩の藩庁が置かれた。城跡は、公園として整備され、山上の天守台跡に博物館と展望台を兼ねた模擬天守が建てられている。
[杵築城] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2014年2月21日 (金) 14:22 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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〔杵築城〕日本・大分県
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