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山形城
日本・山形県

山形城(やまがたじょう)・山形県
  Wikipediaによる解説
 山形城(やまがたじょう)は、山形県山形市霞城町にあった城。別名で霞城(かじょう)、霞ヶ城(かすみがじょう)と呼ばれる。また、吉字城とも呼ばれた。国の史跡に指定されている。
山形城
(山形県)
別名 霞城、霞ヶ城、吉字城
城郭構造 輪郭式平城
天守構造 なし(御三階櫓)
築城主 斯波兼頼
築城年 1356年(南朝:正平11年、北朝:延文元年)
主な改修者 最上義光、鳥居忠政
主な城主 最上氏、鳥居氏、堀田氏、秋元氏
廃城年 1871年(明治4年)
遺構 石垣、堀、移築門、移築御殿
指定文化財 国の史跡
再建造物 二の丸東大手門、大手橋
位置 北緯38度15分12.84秒/東経140度19分44.56秒
 おおよそ基礎は、最上義光の時代につくられ、鳥居忠政の時代に現在の形に整えられたものである。江戸時代には山形藩の政庁が置かれた。
 現在は、そのほとんどが失われ、二の丸跡が霞城公園として残されている。建造物では、大手南門が、市内の万松寺山門として移築され現存する。また、市内八日町宝光院の本堂は、御殿の建物を移築したものといわれている。(県指定文化財)
 山形市は、2033年をめどに本丸全体の発掘調査を完了させるとともに、本丸北枡形の復元を完了することを計画している。 2012年度末現在、本丸は一文字門及び御殿等の写真・図面などの史料が発見されていないことにより、大型建築物の復元のめどは立っていないが、本丸大手門の高麗門及び土塀は時代考証に基づき復元が行われている。
 2013年の発掘調査は本丸西側濠の遺構が中心となり、本丸濠南西部に関しては本丸土塁構築が出来る状態となっている。2013年の発掘調査では三の丸跡から奈良・平安時代のものと推定される竪穴住居跡6棟が発見され、城下町は古代から存在した集落を基盤として形成されたのではないかとみられている。
[山形城] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2014年2月9日 (日) 13:13 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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Last updated : 2024/06/29