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■ Wikipediaによる解説 ■
伊丹城(いたみじょう)は、有岡城(ありおかじょう)ともいう兵庫県伊丹市にある城。国の史跡に指定されている。
南北朝時代、摂津国人の伊丹氏によって建築され、文明4年(1472年)には改築され、それまでの伊丹城が日本最古の天守台を持つ平城となった。
しかし、天正2年11月5日(1574年11月18日)、荒木村重によって攻め落とされ、のちに伊丹氏の伊丹城を大改修し、有岡城に改称した。
荒木村重は後に謀反を起こし、有岡城は織田信長に攻められて落城することになる。
大坂城や江戸城などにもあった惣構えの最古(2005年現在)の遺構が発掘された。城の東側を流れる伊丹川との間は崖になっており、さらにその東側には駄六川と猪名川が流れており、これらの河川が天然の要害となっていた。
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伊丹城(有岡城)
(兵庫県) |
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|---|---|
| 城郭構造 | 平城 |
| 天守構造 | 不明 |
| 築城主 | 伊丹氏 |
| 築城年 | 南北朝時代 |
| 主な改修者 | 荒木村重 |
| 主な城主 | 伊丹氏、荒木村重、池田之助 |
| 廃城年 | 天正11年(1583年) |
| 遺構 | 石垣、土塁、堀跡 |
| 指定文化財 | 史跡(国指定) |
| 位置 | 北緯34度46分52.66秒/東経135度25分15.21秒 |
しかし、天正2年11月5日(1574年11月18日)、荒木村重によって攻め落とされ、のちに伊丹氏の伊丹城を大改修し、有岡城に改称した。
荒木村重は後に謀反を起こし、有岡城は織田信長に攻められて落城することになる。
大坂城や江戸城などにもあった惣構えの最古(2005年現在)の遺構が発掘された。城の東側を流れる伊丹川との間は崖になっており、さらにその東側には駄六川と猪名川が流れており、これらの河川が天然の要害となっていた。
[伊丹城(有岡城)] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2014年2月14日 (金) 17:42 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
(2014年2月14日 (金) 17:42 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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