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八木城
日本・兵庫県

八木城(やぎじょう)・兵庫県
  Wikipediaによる解説
 八木城(やぎじょう)は、兵庫県養父市八鹿町八木にあった山城。国の史跡に指定されている。
八木城
(兵庫県)
別名 八木城
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 閉伊頼国
築城年 1063年(康平6年)
主な改修者 八木豊信
主な城主 閉伊頼国、八木氏
廃城年 1585年(天正13年)か
遺構 曲輪、土塁、堀切
指定文化財 国の史跡
再建造物 なし
位置 北緯35度23分30.88秒/東経134度42分26.42秒
 八木城は、標高409mの「土城山」と、そこから南東へ約450m離れた尾根伝いにある標高303mの「城山」の二か所がある。この尾根を登っていくと、兵庫県下では最高峰の氷ノ山(1520m)へ続いている。八木集落の中央を旧山陰道が東西にあり、それに平行して八木川が流れている。城山にある方は「八木城」、土城山の方を「土城」(別名「八木古城」)と呼称されており、八木城は八木氏が、土城は閉伊氏が在城していた。しかし『ひょうごの城紀行』によると「近年の発掘研究では織豊期に改修されている」とし両城とも同時期に改修していると指摘している。八木城、土城を合わせて「八木城」と呼ばれているが、「八木石城」、「八木土城」とも呼ばれることもある。 但馬国には約220の城が存在している。このうち豊臣政権時代には古文書から4か所しかなく、更に徳川政権時代には出石城の1か所のみとなり、陣屋は豊岡陣屋、村岡陣屋、更に生野代官所の3か所となる。八木城は豊臣政権時代まで存在していた城である。
[八木城_(但馬国)] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2013年7月15日 (月) 03:58 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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〔八木城〕日本・兵庫県



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Last updated : 2024/06/29