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■ Wikipediaによる解説 ■
小諸城(こもろじょう)は、長野県小諸市にある城跡。別名、酔月城、穴城、白鶴城。
長享元年(1487年)に大井光忠によって築城されたと考えられている。戦国時代、武田信玄の東信州経営のために現在の縄張りとされた。現在残っている城跡の元になったものは信玄の軍師であった山本勘助の縄張りだと言い伝えられているが、根拠となる史料はない。
安土桃山時代から江戸時代にかけて、石垣を構築した近世城郭に改修された。現在のような構えとなったのは仙石秀久の改修によるもので、三重天守もその頃に建てられたものであった[2]。天守には桐紋の金箔押瓦が用いられていたが寛永3年(1626年)に落雷によって焼失している。
城郭は城下町である市街地よりも低地に縄張りされ、市街地から城内を見渡すことができ、このため穴城とも鍋蓋城ともいう別称がある。また、浅間山の田切地形の深い谷を空堀として利用しており、西側の千曲川の断崖も天然の防御として利用されている。
小諸城
(長野県) |
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別名 | 酔月城 穴城 白鶴城 鍋蓋城 |
城郭構造 | 平山城 |
天守構造 | 不明3重 |
築城主 | 武田信玄 |
築城年 | 1554年(天文23年) |
主な改修者 | 仙石秀久 |
主な城主 | 武田氏、仙石氏、牧野氏など |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 大手門、三之門、天守台、石垣、空堀 |
指定文化財 | 重要文化財(大手門、三之門) |
位置 | 北緯36度19分38.41秒/東経138度25分2.09秒 |
安土桃山時代から江戸時代にかけて、石垣を構築した近世城郭に改修された。現在のような構えとなったのは仙石秀久の改修によるもので、三重天守もその頃に建てられたものであった[2]。天守には桐紋の金箔押瓦が用いられていたが寛永3年(1626年)に落雷によって焼失している。
城郭は城下町である市街地よりも低地に縄張りされ、市街地から城内を見渡すことができ、このため穴城とも鍋蓋城ともいう別称がある。また、浅間山の田切地形の深い谷を空堀として利用しており、西側の千曲川の断崖も天然の防御として利用されている。
[小諸城] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2014年2月16日 (日) 07:00 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
(2014年2月16日 (日) 07:00 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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