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■ Wikipediaによる解説 ■
新発田城(しばたじょう)は、現在の新潟県新発田市(越後国蒲原郡)にある城郭。別名、菖蒲城(あやめじょう)。新発田藩の藩庁が置かれていた。新潟県内では唯一、江戸時代当時の城郭建築が現存する城跡である。
近くを流れる新発田川の流れを利用した平城であった。石垣には石同士の接合部分を隙間なく加工して積み上げる工法である切り込みハギが用いられている。
櫓の壁には冬季の積雪への対策の意味もあり、海鼠壁(なまこかべ)が用いられていた。その他の塀や一部の櫓門には、下見板が張られていた。
天守はなく、本丸の北西隅に3重櫓を上げて「三階櫓と呼んでいた。三階櫓は新発田城における実質的な天守であった。1654年(承応3年)に創建されたものは、1668年(寛文8年)の火災により焼失し、現在復元されている姿のものは1679年(延宝7年)に再建されたものである。明治初期に撮影された写真によれば、続櫓(付櫓)を伴った複合式層塔型3重3階で、1重目の西面と南面に切妻破風を持った石落としを兼ねる出張りがあり、3重目屋根の棟は丁字型に造られ、棟上には3匹の鯱が載せられている。1874年(明治7年)に破却された。
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新発田城
(新潟県) |
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|---|---|
| 別名 | 菖蒲(あやめ)城・舟形城 |
| 城郭構造 | 平城 |
| 天守構造 | 御三階櫓複合式層塔型3重3階(1679年(延宝7年) 再・非現存) (木造復元・2004年(平成16年) 再) |
| 築城主 | (新発田氏) |
| 築城年 | 不明 |
| 主な改修者 | 溝口秀勝 |
| 主な城主 | 溝口氏 |
| 廃城年 | 1873年(明治6年) |
| 遺構 | 櫓・長屋・門、石垣、土塁、堀 |
| 指定文化財 | 国の重要文化財(表門、二の丸隅櫓) |
| 再建造物 | 三階櫓、辰巳櫓 |
| 位置 | 北緯37度57分19.68秒/東経139度19分31.47秒 |
櫓の壁には冬季の積雪への対策の意味もあり、海鼠壁(なまこかべ)が用いられていた。その他の塀や一部の櫓門には、下見板が張られていた。
天守はなく、本丸の北西隅に3重櫓を上げて「三階櫓と呼んでいた。三階櫓は新発田城における実質的な天守であった。1654年(承応3年)に創建されたものは、1668年(寛文8年)の火災により焼失し、現在復元されている姿のものは1679年(延宝7年)に再建されたものである。明治初期に撮影された写真によれば、続櫓(付櫓)を伴った複合式層塔型3重3階で、1重目の西面と南面に切妻破風を持った石落としを兼ねる出張りがあり、3重目屋根の棟は丁字型に造られ、棟上には3匹の鯱が載せられている。1874年(明治7年)に破却された。
[新発田城] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2014年4月9日 (水) 07:53 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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