地図で見る『日本(にほん)の城(しろ)』
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岡崎城
日本・愛知県

岡崎城(おかざきじょう)・愛知県
 ■ Wikipediaによる解説 ■
 岡崎城(おかざきじょう)は、愛知県岡崎市康生町にあった城。徳川家康の生地である。別名、龍城。
岡崎城
(愛知県)
別名 龍城
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 複合連結式望楼型3重3階(1617年築・非現存)
復興(1959年(昭和34年)再・RC造)
築城主 西郷稠頼・頼嗣(三河国守護仁木氏の守護代)
築城年 享徳元年(1452年)(享徳4年説あり)
主な改修者 松平清康、田中吉政
主な城主 西郷氏、松平氏、田中氏、本多氏、水野氏
廃城年 明治6年(1873年)
遺構 石垣、堀
指定文化財 岡崎城跡(岡崎市指定史跡)
再建造物 天守、門
位置 北緯34度57分22.71秒/東経137度9分31.7秒
 戦国時代から安土桃山時代には徳川氏の持ち城、江戸時代には岡崎藩の藩庁であった。
 菅生川と矢作川の合流地点にある龍頭山という丘陵を利用して造られている。元は、龍頭山の砦として三河国仁木氏の守護代であった西郷稠頼(つぎより、つぐより、又は、ちかより)、そして、その子頼嗣(よりつぐ)が北方に対する防御として築城したものである。当時は、龍燈山城(りゅうとうざんじょう)と呼んだ。それを、松平清康が西郷信貞(松平昌安)から奪い取り改修拡張整備したものが岡崎城である。
 龍頭山はもともと小高い丘で、山頂に本丸が置かれた平山城として築かれていたが、本多康重から3代忠利(1600年(慶長5年) - 1645年(正保2年))にわたる改修によって平城となっている[2]。この際、本丸に複合連結式望楼型3重3階の天守(1617年(元和3年))が建てられた。
 本丸の北方に持仏堂曲輪、その北方下に二の丸、その北方に北曲輪、二の丸の東側には三ノ丸と東曲輪、その東に備前曲輪と大手門があった浄瑠璃曲輪、本丸と二の丸の西方下に坂谷曲輪、その西に白山曲輪と搦手口に当たる稗田門があった稗田曲輪、本丸の南は、菅生川沿いに菅生曲輪があり、それに、本丸から北側へ6重、西側へ4重の外堀を廻らせていた。
 存城当時の東海地方の城では3番目に数えられる規模であったが、1873年(明治6年)の廃城令によって廃城となり城内の天守以下の建物及び土地を払い下げ、現在は一切の建物を失い、本丸と周辺の持仏堂曲輪、隠居曲輪、風呂谷等の曲輪と石垣、堀などの遺構を残すのみで、敷地は龍城神社、岡崎公園として整備され、天守などが復興され、市民の憩いの場になっている。
[岡崎城] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2014年4月15日 (火) 05:53 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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〔岡崎城〕日本・愛知県



Last updated : 2025/12/26