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千早城
日本・大阪府

千早城(ちはやじょう)・大阪府
  Wikipediaによる解説
 千早城(ちはやじょう)は、大阪府南河内郡千早赤阪村大字千早にある日本の城。国の史跡に指定されている。鎌倉時代末期より南北朝時代に存在した楠木正成の城である。四方を絶壁に囲まれ要塞堅固を誇ったといわれる連郭式山城である。楠木七城の一つ。
千早城
(大阪府)
別名 楠木詰城、金剛山城、千早の詰め城、千早のかくれ城
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし(最高所に望楼櫓が建っていた可能性あり)
築城主 楠木正成
築城年 1332年(元弘2年、正慶元年)
主な改修者 不明
主な城主 楠木氏
廃城年 1392年(明徳3年)
遺構 曲輪、空堀
指定文化財 国の史跡
再建造物 なし
位置 北緯34度25分2.01秒/東経135度39分4.31秒
 千早城は、大和国五条と河内国大ケ塚・富田林を結ぶ最短ルートとして、昔から交通、軍事の要衝であった千早街道から登りつめた金剛山より西にある一支脈の先端に築かれた山城で、楠木氏の詰め城である。城は、周囲が約4kmで千早川の渓谷を利用し、北には北谷、南東には妙見谷、東は風呂谷があって、四方の殆どを深いに谷に囲まれ、城の背後のみが金剛山の山頂に連絡する要害の地である。金剛山の山頂は標高1125m、城の最高所の標高は673m、比高は175mとなっている。北条軍の大軍を引き受け、楠木正成が奇策を用いて名高い攻城戦の舞台となった。
[千早城] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2013年10月28日 (月) 13:51 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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〔千早城〕日本・大阪府



Last updated : 2025/09/19