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赤穂城
日本・兵庫県

赤穂城(あこうじょう)・兵庫県
  Wikipediaによる解説
 赤穂城(あこうじょう)は、兵庫県赤穂市にある城。国の史跡に指定され、庭園は名勝に指定されている。別名・加里屋城、大鷹城。『忠臣蔵』の舞台の一つとして知られる。
赤穂城
(兵庫県)
別名 加里屋城、大鷹城
城郭構造 変形輪郭式平城
天守構造 建造されず
築城主 岡光広
築城年 1466年(文正元年)〜1483年(文明15年)
主な改修者 池田長政、浅野長直
主な城主 池田氏、浅野氏、森氏
廃城年 1873年(明治6年)
遺構 石垣、堀
指定文化財 国の史跡、名勝(庭園)
再建造物 櫓・門、庭園(復元中)
位置 北緯34度44分44.41秒/東経134度23分20.34秒
 江戸時代、赤穂藩の藩庁が置かれた。 元和偃武の後、本格築城された城郭である。縄張りは変形輪郭式。本丸と二の丸が輪郭式に配され、その北側に三の丸が梯郭式に置かれている。銃砲撃戦を意識した設計となっており、十字砲火が可能なように稜堡に良く似た横矢掛かりが数多く用いられている。縄張りは赤穂浅野氏初代長直の時代、浅野氏に仕えた甲州流兵学者の近藤正純によってなされた。長直は築城中、山鹿素行を招聘し、縄張りについて意見を聞いた。これにより二の丸周辺の手直しがされた。それまでは一重の堀に囲まれた掻上城(かきあげじょう)という質素なものであった。
 赤穂城は5万石の浅野氏には過度に広壮で、これがために財政難に陥った。5層天守の造営も計画されていたが幕府への遠慮か財政難の為か造営されず、天守台のみが今日に残っている。
 市内を流れる千種川から上水道を敷設し、城内のみならず城下各戸にも給水されていた。日本三大上水道の一つに数えられている。
 明治時代前期に城内の建物は破却され石垣と堀のみが残っていた。昭和中期から平成にかけて櫓・門・塀・庭園が徐々に再建され、現在も二の丸庭園の再建が進められている。
[赤穂城] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2013年12月2日 (月) 14:34 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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〔赤穂城〕日本・兵庫県



Last updated : 2025/09/19