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■ Wikipediaによる解説 ■
高取城(たかとりじょう)は、奈良県高市郡高取町高取にあった日本の城である。別名、高取山城。江戸時代は高取藩の藩庁であった。国の史跡に指定されている。
城は、高取町から4キロメートル程南東にある、標高583メートル、比高350メートルの高取山山上に築かれた山城である。山上に白漆喰塗りの天守や櫓が29棟建て並べられ、城下町より望む姿は「巽高取雪かと見れば、雪ではござらぬ土佐の城」と謡われた。なお、土佐とは高取の旧名である。
曲輪の連なった連郭式の山城で、城内の面積は約10,000平方メートル、周囲は約3キロメートル、城郭全域の総面積約60,000平方メートル、周囲約30キロメートルに及ぶ。日本国内では最大規模の山城で、備中松山城(岡山県)・岩村城(岐阜県)とともに日本三大山城の一つに数えられる。元和元年(1615年)の一国一城令の際も重要な山城として破却を免れ、現在に至るまで石垣や石塁が残されている。
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高取城
(奈良県) |
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| 別名 | 芙蓉城、鷹取城、高取山城 |
| 城郭構造 | 連郭式山城 |
| 天守構造 | 連立式3重3階地下1階(非現存) |
| 築城主 | 越智邦澄 |
| 築城年 | 元弘2年(1332年) |
| 主な改修者 | 筒井順慶、本多利久 |
| 主な城主 | 越智氏、筒井氏、本多氏、植村氏 |
| 廃城年 | 明治6年(1873年) |
| 遺構 | 石垣、堀、井戸など多数 |
| 指定文化財 | 史跡(国指定) |
| 再建造物 | なし |
| 位置 | 北緯34度25分45.99秒/東経135度49分36.57秒 |
曲輪の連なった連郭式の山城で、城内の面積は約10,000平方メートル、周囲は約3キロメートル、城郭全域の総面積約60,000平方メートル、周囲約30キロメートルに及ぶ。日本国内では最大規模の山城で、備中松山城(岡山県)・岩村城(岐阜県)とともに日本三大山城の一つに数えられる。元和元年(1615年)の一国一城令の際も重要な山城として破却を免れ、現在に至るまで石垣や石塁が残されている。
[高取城] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2013年11月22日 (金) 01:39 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
(2013年11月22日 (金) 01:39 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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