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月山富田城
日本・島根県

月山富田城(がっさんとだじょう)・島根県
  Wikipediaによる解説
 月山富田城(がっさんとだじょう)は、島根県安来市広瀬町富田に所在した城郭。月山(標高197m)に営まれる。戦国時代に山陰の覇者尼子氏が本拠を構え、170年間の尼子氏六代の盛衰の舞台となった。城郭跡は国の史跡に指定されている。
月山富田城
(島根県)
別名 月山城、富田月山城
城郭構造 複郭式山城
天守構造 なし
築城主 佐々木義清か
築城年 1185年(文治元年)頃か
主な改修者 尼子経久、堀尾吉晴
主な城主 尼子氏、吉川元春、堀尾吉晴
廃城年 1611年(慶長16年)
遺構 石垣、曲輪、堀切、井戸
指定文化財 国の史跡
再建造物 石垣、侍所
位置 北緯35度21分39.42秒/東経133度11分6.94秒
 歴代の出雲国守護職の居城で1396 ~1566年(戦国時代)には大名尼子氏の本拠地となり以後尼子氏とともに山陰の要衝の地となった。尼子氏は中国地方の覇権を巡って周辺諸国と争い尼子経久の時期に出雲に基盤を造り上げ、嫡孫尼子晴久の代には山陰・山陽八ヶ国守護の大大名となった。天然の地形を利用した、最も難攻不落の要塞城といわれ「天空の城」とも呼ばれていた。その後、城を巡っても度々攻防戦が行われた(詳細は月山富田城の戦い参照)が、最終的に尼子氏は毛利氏によって滅ぼされ、城も毛利領となった。1600年(慶長5年)以降、堀尾氏が城主となるが、1611年(慶長16年)、堀尾忠晴が松江城に移り廃城となった。それまでは、山陰の首城たる地位を失わなかった。1934年(昭和9年)、国の史跡に指定された。
[月山富田城] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2014年4月4日 (金) 10:49 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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〔月山富田城〕日本・島根県



Last updated : 2025/09/19