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福山城
日本・広島県

福山城(ふくやまじょう)・広島県
  Wikipediaによる解説
 福山城(ふくやまじょう)は広島県福山市丸之内1丁目にあった城で、城跡は国の史跡に指定されている。久松城(ひさまつじょう)、葦陽城(いようじょう)とも呼ばれる。日本における近世城郭円熟期の代表的な遺構であり、2006年2月13日、日本100名城に選定された。
福山城
(広島県)
別名 久松城、葦陽城
城郭構造 輪郭式平山城
天守構造 複合式層塔型5重6階(1622年)
(1966年RC造復興)
築城主 水野勝成
築城年 1622年
主な改修者 阿部氏
主な城主 水野氏、松平氏、阿部氏
廃城年 1874年
遺構 櫓・門・鐘楼、石垣
指定文化財 国の重要文化財(伏見櫓、筋鉄御門)
福山市重要文化財(鐘楼)
再建造物 天守、月見櫓、御湯殿
位置 北緯34度29分27.74秒/東経133度21分40.04秒
 福山城は元和8年(1622年)に完成した。新規の築城としては近世城郭で最も新しい城で、備後福山藩の藩庁かつ藩主の居城であった。形式は輪郭式の平山城で、かつては2重の堀や瀬戸内海へ抜ける運河を持ち五重の天守と7基の三重櫓を有する大規模な城郭であった。昭和初期までに城北側にある堀をかねた吉津川以外の全ての堀が埋められ、三の丸は大半が市街地と化すなど遺構の破壊が進み、石垣も概ね本丸と二の丸の大部分と三の丸のごく一部に残り櫓は1基が現存するのみとなっている。三の丸南側はJR福山駅が東西に貫き新幹線や福塩線のホームから間近に本丸を望むことができる。
 現存する建造物としては伏見櫓と筋鉄御門(共に国の重要文化財)があり、筋鉄御門・伏見櫓・御湯殿・月見櫓は福山城の築城時に伏見城から移築されたもので、伏見櫓のみ現存の櫓では最古の建築である。天守は昭和20年(1945年)まで残されていたが福山大空襲により焼失している。現在の建物は昭和41年(1966年)に月見櫓、御湯殿と共に復興されたものである。再建された天守内部は福山市立福山城博物館として利用され天守最上階の回縁からは市街を360度見渡せ、晴れた日には瀬戸内海を望むこともできる。
[福山城 (備後国)] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2014年4月2日 (水) 01:26 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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〔福山城〕日本・県



Last updated : 2025/09/19