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■ Wikipediaによる解説 ■
高松城(たかまつじょう)は、日本の香川県高松市玉藻町にあった城である。別名・玉藻城(たまもじょう)。国の史跡に指定されている。
別名「玉藻城」は、万葉集で柿本人麻呂が讃岐国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因み、高松城周辺の海域が玉藻の浦と呼ばれていたことに由来するとされている。
高松城は、豊臣秀吉の四国制圧の後、1587年(天正15年)讃岐1国の領主となった生駒親正によって、「野原」と呼ばれた港町に築かれた。現在見られる遺構は、江戸初期に徳川光圀の兄で常陸国から12万石で高松に移封された松平頼重によって改修されたものである。
近世城郭の海城としては、最初で最大の例で[1]、「讃州さぬきは高松さまの城が見えます波の上」と謡われている。本丸に建てられた天守は、最下重が萩城や熊本城の天守のように天守台より出張り、最上重が小倉城や岩国城の天守のように「唐造り」であった。その様子は、解体される以前に写真におさめられ、また1884年にイギリスの週刊新聞「ザ・グラフィック」でイギリス人のヘンリー・ギルマールの絵によって紹介されている。
現在は、三重櫓や門など一部の建物と一部の石垣、堀が現存し、城跡は「玉藻公園」として整備されている。
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高松城
(香川県) |
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|---|---|
| 別名 | 玉藻城 |
| 城郭構造 | 輪郭式平城 |
| 天守構造 | 独立式層塔型3重4階地下1階(1669年改・非現存) |
| 築城主 | 生駒親正 |
| 築城年 | 1590年(天正18年) |
| 主な改修者 | 松平頼重、松平頼常 |
| 主な城主 | 生駒氏、松平氏 |
| 廃城年 | 1869年(明治2年) |
| 遺構 | 櫓、門、渡櫓、石垣、堀 |
| 指定文化財 | 国の重要文化財(北の丸月見櫓・水手御門・渡櫓、旧東の丸艮櫓、披雲閣)、国の史跡 |
| 再建造物 | 御殿 |
| 位置 | 北緯34度21分0.2秒/東経134度3分1.4秒 |
高松城は、豊臣秀吉の四国制圧の後、1587年(天正15年)讃岐1国の領主となった生駒親正によって、「野原」と呼ばれた港町に築かれた。現在見られる遺構は、江戸初期に徳川光圀の兄で常陸国から12万石で高松に移封された松平頼重によって改修されたものである。
近世城郭の海城としては、最初で最大の例で[1]、「讃州さぬきは高松さまの城が見えます波の上」と謡われている。本丸に建てられた天守は、最下重が萩城や熊本城の天守のように天守台より出張り、最上重が小倉城や岩国城の天守のように「唐造り」であった。その様子は、解体される以前に写真におさめられ、また1884年にイギリスの週刊新聞「ザ・グラフィック」でイギリス人のヘンリー・ギルマールの絵によって紹介されている。
現在は、三重櫓や門など一部の建物と一部の石垣、堀が現存し、城跡は「玉藻公園」として整備されている。
[高松城 (讃岐国)] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2014年2月1日 (土) 13:05 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
(2014年2月1日 (土) 13:05 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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