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高知城
日本・高知県

駿府城(すんぷじょう)・高知県
  Wikipediaによる解説
 高知城(こうちじょう)は、高知県高知市(土佐国土佐郡高知)にあった城。別名鷹城(たかじょう)。
江戸時代、土佐藩の藩庁が置かれた。江戸時代に建造された天守や本丸御殿、追手門等が現存し、城跡は国の史跡に指定されている。日本100名城に選定されている。
高知城
(高知県)
別名 鷹城
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 独立式望楼型 4重6階(1601年築・1747年再)現存
築城主 山内一豊
築城年 1603年(慶長3年)
主な改修者 山内豊敷
主な城主 山内氏
廃城年 1871年(明治4年)
遺構 現存天守・御殿・櫓・門
石垣、堀
指定文化財 国の重要文化財(天守など15棟)
国の史跡
位置 北緯33度33分38.53秒/東経133度31分53.54秒
 高知市のある高知平野のほぼ中心に位置する大高坂山(標高44.4m)上に築かれた、梯郭式平山城。山の南を流れる鏡川、北の江の口川をそれぞれ外堀として利用している。
 戦国時代以前には大高坂山城(おおたかさかやまじょう/おおたかさやま-)または大高坂城と呼ばれる城が築かれていた。現在見られる城は、江戸時代初期に、土佐藩初代藩主・山内一豊によって着工され、2代忠義の時代に完成し、土佐藩庁が置かれた。4層6階の天守は、一豊の前任地であった掛川城の天守を模したといわれている。一豊により河中山城(こうちやまじょう)と名付けられたが、高智山城と名を変えたのち、現在の城名となった。
 高知城は本丸の建物が完全に残る唯一の城として知られている。明治6年(1873年)に発布された廃城令や、第二次大戦による空襲を逃れ、天守・御殿・追手門など15棟の建造物が現存し、国の重要文化財に指定されている。現在これらは高知県の所有物となっている。また、この15棟の現存建造物に加えて、土佐山内家宝物資料館に丑寅櫓の一部であると伝わる部材が収蔵されている。
 城全域は高知公園として開放されており、本丸御殿・天守は懐徳館という資料館として利用されている。城の周辺には、高知市役所、高知県庁、地方裁判所、地方検察庁などの行政機関や司法機関が立ち並び高知県の行政の中心地となっている(県庁舎のみ実質的には公園内にある)。
 また、城内には山内一豊と妻・千代(見性院)、板垣退助の銅像が立つ。
[高知城] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2014年4月13日 (日) 11:46 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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〔高知城〕日本・高知県


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Last updated : 2022/11/23