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佐賀城
日本・佐賀県

佐賀城(さがじょう)・佐賀県
  Wikipediaによる解説
 佐賀城(さがじょう)は、佐賀県佐賀市にあった日本の城。古名は佐嘉城。別名、沈み城、亀甲城。江戸時代初頭に完成し、外様大名の佐賀藩鍋島氏の居城であった。
佐賀城
(佐賀県)
別名 佐嘉城、栄城、沈み城、亀甲城
城郭構造 輪郭梯郭複合式平城
天守構造 4重(非現存)
築城主 鍋島直茂・勝茂
築城年 1602年(慶長7年)
主な改修者 鍋島直正
主な城主 鍋島氏
廃城年 1871年(明治4年)
遺構 鯱の門及び続櫓、移築御座の間、石垣、堀、土塁
指定文化財 国の重要文化財(鯱の門及び続櫓)
佐賀県史跡
佐賀市重要文化財(御座の間)
再建造物 御殿(佐賀県立佐賀城本丸歴史館)
位置 北緯33度14分44.69秒/東経130度18分7.65秒
 佐賀城は佐賀市の中心に位置し、城郭の構造は輪郭梯郭複合式平城である。幅50m以上もある堀は、石垣ではなく土塁で築かれている。平坦な土地にあるため、城内が見えないように土塁にはマツやクスノキが植えられている。城が樹木の中に沈み込んで見えることや、かつては幾重にも外堀を巡らし、攻撃にあった際は主要部以外は水没させ敵の侵攻を防衛する仕組みになっていたことから、「沈み城」とも呼ばれてきた。また城の完成予想図とは異なる部分が多く、厳密には未完成の城である。
 江戸時代には、城下と城内に掘割が縦横に張り巡らされ、生活用水に使用されていた。また、城下には豊前小倉から長崎まで続く長崎街道が通り、宿場町としても栄えた。
 明治時代初期に起こった佐賀の乱により大半の建造物は焼失し、鯱の門と続櫓のみが残っており国の重要文化財に指定されている。焼失した天守は小倉城並みか、それよりわずかに大きい規模ではないかと最近の調査で推測されている。
 現在、城跡は佐賀城公園に整備され、佐賀県庁、合同庁舎、放送局、美術館、博物館、小中高の各学校など公共施設が建ち並んで佐賀県政治経済の中心地となっている。
[佐賀城] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2013年9月11日 (水) 12:36 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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〔佐賀城〕日本・佐賀県



Last updated : 2025/09/19