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島原城
日本・長崎県

島原城(しまばらじょう)・長崎県
  Wikipediaによる解説
 島原城(しまばらじょう)は長崎県島原市城内にあった城である。別名、森岳城、高来城。
島原城
(長崎県)
別名 森岳城、高来城
城郭構造 連郭式平城
天守構造 独立式層塔型4重5階(1626年築 非現存)
独立式層塔型5重5階(1964年RC造復興)
築城主 松倉重政
築城年 寛永元年(1624年)
主な城主 松倉氏、松平(深溝)氏
廃城年 明治3年(1871年)
遺構 石垣、堀
指定文化財 島原市史跡
再建造物 天守・丑寅櫓・巽櫓・西櫓(外観復元)
位置 北緯32度47分21.18秒/東経130度22分2.15秒
 有明海に臨み、雲仙岳の麓に位置する。城郭の形式はほぼ長方形の連郭式平城で、高く頑丈な石垣が特徴である。本丸は周りを水堀で囲まれており、二の丸と廊下橋形式の木橋一本で繋がれている。橋を壊せば本丸を独立させることが出来るが、逆に袋の鼠状態になり、しかも廊下橋は、防備上矢玉が当たりにくくなるので、縄張りの欠陥とも言える。同じ事例に、高松城の天守郭(本丸)がある。また、天守は破風を持たない独立式層塔型5重5階(初重の屋根を庇として4重5階とも)で最上階の廻縁高欄を後に戸板で囲ったため「唐造り」のようになっていた。
 江戸時代は島原藩の政庁であり藩主の居所であった。成立当時の領主である松倉氏の知行は4万石であったが、総石垣で天守と櫓49棟を建て並べた。火山灰や溶岩流でなる地盤での普請工事は困難であったとされ、関わった領民の一揆を引き起こす一因となった。
 明治以降は廃城処分となり建物などは撤去され、現在は本丸に天守・櫓・長塀が復興され、城跡公園となっている。
[島原城] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2014年4月14日 (月) 17:05 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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〔島原城〕日本・長崎県



Last updated : 2025/09/19