地図で見る『 |
■ Wikipediaによる解説 ■
島原城(しまばらじょう)は長崎県島原市城内にあった城である。別名、森岳城、高来城。
有明海に臨み、雲仙岳の麓に位置する。城郭の形式はほぼ長方形の連郭式平城で、高く頑丈な石垣が特徴である。本丸は周りを水堀で囲まれており、二の丸と廊下橋形式の木橋一本で繋がれている。橋を壊せば本丸を独立させることが出来るが、逆に袋の鼠状態になり、しかも廊下橋は、防備上矢玉が当たりにくくなるので、縄張りの欠陥とも言える。同じ事例に、高松城の天守郭(本丸)がある。また、天守は破風を持たない独立式層塔型5重5階(初重の屋根を庇として4重5階とも)で最上階の廻縁高欄を後に戸板で囲ったため「唐造り」のようになっていた。
江戸時代は島原藩の政庁であり藩主の居所であった。成立当時の領主である松倉氏の知行は4万石であったが、総石垣で天守と櫓49棟を建て並べた。火山灰や溶岩流でなる地盤での普請工事は困難であったとされ、関わった領民の一揆を引き起こす一因となった。
明治以降は廃城処分となり建物などは撤去され、現在は本丸に天守・櫓・長塀が復興され、城跡公園となっている。
|
島原城
(長崎県) |
|
|---|---|
| 別名 | 森岳城、高来城 |
| 城郭構造 | 連郭式平城 |
| 天守構造 | 独立式層塔型4重5階(1626年築 非現存) 独立式層塔型5重5階(1964年RC造復興) |
| 築城主 | 松倉重政 |
| 築城年 | 寛永元年(1624年) |
| 主な城主 | 松倉氏、松平(深溝)氏 |
| 廃城年 | 明治3年(1871年) |
| 遺構 | 石垣、堀 |
| 指定文化財 | 島原市史跡 |
| 再建造物 | 天守・丑寅櫓・巽櫓・西櫓(外観復元) |
| 位置 | 北緯32度47分21.18秒/東経130度22分2.15秒 |
江戸時代は島原藩の政庁であり藩主の居所であった。成立当時の領主である松倉氏の知行は4万石であったが、総石垣で天守と櫓49棟を建て並べた。火山灰や溶岩流でなる地盤での普請工事は困難であったとされ、関わった領民の一揆を引き起こす一因となった。
明治以降は廃城処分となり建物などは撤去され、現在は本丸に天守・櫓・長塀が復興され、城跡公園となっている。
[島原城] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2014年4月14日 (月) 17:05 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
(2014年4月14日 (月) 17:05 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
*地図が正しく表示されない場合、地図左下の「Google」のロゴタイプをクリックしてください。
