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■ Wikipediaによる解説 ■
府内城(ふないじょう)は、豊後国府内(現在の大分県大分市)にあった城である。大分城(おおいたじょう)とも呼ばれる。
府内城は、大分市街の中心に位置する梯郭式平城である。安土桃山時代後期、府内に12万石で入封した福原直高が府内の荷落に築城を始めたが、福原氏は改易され、早川長政の府内領再封を経て、関ヶ原の戦いの後に3万5千石で入封した竹中重利が完成させた。
江戸時代には府内藩2万石の藩庁が置かれていたが、明治初期に本丸・東丸・西丸の建造物以外は破却され、堀の一部が埋め立てられた。さらに第二次世界大戦時の空襲により櫓が数棟焼失した。
現在、城跡は大分城址公園となっている。本丸跡北西隅に人質櫓(二重櫓)と西丸に宗門櫓(平櫓)が現存し、大分県の史跡に指定されている。また、3棟の二重櫓と大手門、土塀、廊下橋が復元されており、西丸跡には1966年に大分文化会館が建てられ、三の丸跡には、大分県庁・大分市役所などがある。
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府内城
(大分県) |
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| 別名 | 大分城、荷揚城、白雉城 |
| 城郭構造 | 梯郭式平城 |
| 天守構造 | 不明(4重。形式には諸説あり) 非現存 |
| 築城主 | 福原直高 |
| 築城年 | 1597年 |
| 主な改修者 | 竹中重利 |
| 主な城主 | 竹中氏、大給松平家 |
| 廃城年 | 1872年 |
| 遺構 | 櫓2棟、石垣、堀 |
| 指定文化財 | 大分県文化財(人質櫓、宗門櫓) |
| 再建造物 | 櫓・門・橋 |
| 位置 | 北緯33度14分26.31秒/東経131度36分41.16秒 |
江戸時代には府内藩2万石の藩庁が置かれていたが、明治初期に本丸・東丸・西丸の建造物以外は破却され、堀の一部が埋め立てられた。さらに第二次世界大戦時の空襲により櫓が数棟焼失した。
現在、城跡は大分城址公園となっている。本丸跡北西隅に人質櫓(二重櫓)と西丸に宗門櫓(平櫓)が現存し、大分県の史跡に指定されている。また、3棟の二重櫓と大手門、土塀、廊下橋が復元されており、西丸跡には1966年に大分文化会館が建てられ、三の丸跡には、大分県庁・大分市役所などがある。
[大分城] - 引用した Wikipedia の情報は更新されている場合があります。
(2014年2月21日 (金) 06:37 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
(2014年2月21日 (金) 06:37 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』
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〔府内城〕日本・大分県
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