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大政奉還
たいせいほうかん
作家
作品

島崎藤村

【夜明け前 第一部下】

十五代将軍が大政奉還のうわさの民間に知れ渡るとともに、 種々さまざまな流言のしきりに伝わって来るころだ。その中で不思議なお札が諸方に降り始めたとの評判が立った。

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徳永直

【光をかかぐる人々】

とにかく高橋が上海に渡つたのは慶應三年で、間もなく大政奉還の御一新に遭ふや、一旦歸國したが、再び上海に渡り、明治三年の一月三百部が完成したといふ。

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内藤鳴雪

【鳴雪自叙伝】

が、幕府では容易に聞届られぬので、再応出願せられてヤッとのこと辞職を許された。それは慶応三年の十月で、この時は既に薩長へ向って討幕の内勅が下っていた時である。間もなく土州の山内容堂公は後藤、福岡等を以て慶喜将軍に大政奉還を勧めらるることになって、それには勤王佐幕両党の聯立内閣を作ることを条件とせられたのである。そこで慶喜公も内実困却されている際であったから、この建議を採用して、いよいよ大政奉還を出願せられた。

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太宰治

【右大臣実朝】

この時すでに将軍家に於いては朝幕合体、さらにすすんで大政奉還の深謀さへあつて御台所を院の御外戚より求められたのだといふひどく大袈裟な当推量をなさるお方もあつたやうでございました。

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菊池寛

【鳥羽伏見の戦】

再度の長州征伐に失敗して、徳川幕府の無勢力が、完全に暴露された。この時既に長州は薩摩と連合して討幕の計画を廻らしていた。
 温健派の山内容堂は、幕府の命運既に尽きたるを察して、幕府をしてその終りを全うせしむる意味で、大政奉還の止むなき 所以ゆえんを説いた建白書を、慶喜に呈した。当時在京中の慶喜悟る所あり、十月十三日在京の諸大名群臣を二条城に集めて諮問したる上、翌十四日朝廷へ奏問に及んだのである。
 いずくんぞ知らん、その日は薩長二藩に対し、討幕の密勅が、下された日である。
 即ち薩長や岩倉具視ともみの肚では武力を以て圧倒しようとする所に、幕府の方から、頭を下げて来たのである。
 王政維新の実を挙げ、朝廷の実力を発揮するためには、幕府に一撃を与えて、実力的に圧倒することが必要だと思っていたから、幕府からの大政奉還は、痛し かゆしであったのである。
 だから、それに対して、朝廷には二つ議論があった。その一つは、公武合体派で、慶喜の大政奉還の許を嘉賞して、新政府組織についても、慶喜に旧将軍にふさわしい一役を与えようと云うのである。他の一派は、岩倉を中心とする排幕派で、既に討幕の密勅も下っている所へ、大政奉還を申し出でたので、勝手が違ったが、たとえ武力で圧倒できなくなったにしろ、他の手段で、幕府の勢力を 蹂躙じゅうりんしようと云うのである。

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国枝史郎

【大捕物仙人壺】

そこで慶喜は十月十三日、京都二条城に群臣を集め、大政奉還の議を 諮詢しじゅんした。その結果翌十四日、いよいよ大政奉還の旨を朝廷へ対して 奏聞そうもんした。一日置いた十六日朝廷これを嘉納した。

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中里介山

【大菩薩峠 山科の巻】

この一藩の輿論の下に、土佐はまず幕府に向って大政奉還運動を働きかけている、徳川氏に向って、早く政権を朝廷に向けて奉還せよ、それが天下の大勢であるし、また徳川氏の 社稷しゃしょくを保つ最も賢明の方針だ、大政奉還が一刻早ければ早いだけの効能がある、一刻遅ければ遅いだけの損失がある、ということを、あの藩の策士共はしきりに幕府に向って建議勧誘しているそうだ

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Last updated : 2022/11/23