年齢の名称・異称・別名
= 志学・弱冠・而立・不惑・知命・耳順・従心など =
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  年齢の名称・異称・別名 
  三十路、四十路など 
  古事記に見る年齢 
  方丈記に見る年齢 
  論語・孔子について 
  礼記での例 
  • 年齢は、特に断りのない限り「数え年」です。
  • 「数え年」は、暦年が変わった1月1日に1歳ずつ年をとります。満年齢で見る場合は一歳を減じてください。
  • 性別は、特に断りのない場合は男女共通です。
  • 「論語」や「礼記」が語源の名称は、基本的に「男性」の年齢に分類しています。
《参考》
作文捷径さくぶんしょうけい : 和漢日用』(国立国会図書館所蔵)に見られる漢文などから引いた「長寿の祝い」に添えられる文例。「南極星輝」「松柏節操」「南山の寿」などが見られる。
(『作文捷径」は、 西野古海にしのこかいによって、明治9年(1876年)[今から ]に編纂された)

『作文捷径』に見られる漢文などから引いた「長寿の祝い」に添えられる文例 [1] [1]    に見られる漢文などから引いた「長寿の祝い」に添えられる文例 [2] [2]
年齢
別称
異称
読み
性別
意味など
2、3歳 孩提 がいてい  
  • 嬰児みどりご幼子おさなごのこと。
  • 孩は幼児がにっこり笑うこと、提は抱かれることの意から幼児を指す。二、三歳までの幼児。
【孟子 尽心・上】
孩提之童、無其親
孩提の童、其の親を愛することを知らざるは無し。(幼な子であっても、その親を愛することを知らない子はいない)

【石川啄木 渋民日記】
笑ふ時の笑くぼは、無心の孩提のそれの様に愛らしくて、
7歳未満 とう  
  • 「八十、九十曰耄、七年曰悼、悼與耄雖有罪、不加刑焉」(「礼記・曲礼上」より)
  • 「八十、九十を「もう」といい、七歳未満を「とう」という。「耄」「悼」には、たとえ有罪でも刑罰を科してはならない。
7、8歳 三尺の
童子
さんせきのどうじ
さんじゃくのどうじ
 
  • 三尺は小さいことの意。一尺は二歳半のことで、三尺は七、八歳を指す。
  • このころの年齢のこどもの身の丈が三尺ほどだからとする説も。無知な者のたとえにも。
【夏目漱石 吾輩は猫である】
もし腕力に訴えたなら三尺の童子も吾輩を自由に上下し得るであろうが、
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【寺田寅彦 知と疑い】
地球上の物体が地面に向かって落ちる事は三尺の童子もこれを知る。
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10歳
幼学
よう
ようがく
 
  • 「人生まれて十年を幼といいて学ぶ」「人生十年曰幼、學」(「礼記・曲礼上」)より。
10歳位の
子ども
辻髪 つじかみ  
  • 遊谷子「和荘兵衛 四・大人国」(安永三年・1774年)「大男には七丈ばかりなるもあり。九歳十歳ばかりの辻髪置たりる丸額の子供も二丈三丈より小きはなし。」(明治十七年・1884年翻刻版)
  • 辻髪は、子どものつむじを中心として周囲の部分を円形に少し残し、他をそり落とした子供の髪型。
15歳 志学 しがく 男性
  • 論語・為政第二」より
  • 十有五(じゅうゆうご)にして(がく)(こころざ) す」
  • 「孔子は言います。私は、十五の時に学問で身を立てようと決心しました。」
笄年 けいねん 女性
  • 女性は、十五で かんざしをつけて成人となったことから。
16歳 破瓜 はか 女性
  • 「瓜」という字を縦二つに割ると、「八」が二つになり、足すと「十六」になることから「女性十六歳」を指す。
  • 「瓜」の字の「八」が二つは、掛けると「六十四」になることから、「破瓜」は「男性六十四歳」も指す。
20歳 二十路 ふたそじ  
  • 20歳のこと。
二十歳 はたち  
  • 20歳のこと。
弱冠 じゃっかん 男性
  • 「二十を弱といいて冠す」「二十曰弱、冠」(「礼記・曲礼上」より)
  • 中国・周代の制度で、男性は二十歳で冠を付けて成人(元服)した。
  • 年が若いことも指すが、「若冠二十歳」 や、「若干二十歳」などと、「若い」という字を使うのはは誤り。
【福沢諭吉 経世の学、また講究すべし】
 そもそも義塾の生徒、その年長ずるというも、二十歳前後にして、二十五歳以上の者は稀なるべし。概してこれを弱冠じゃっかんの年齢といわざるをえず。たとい天稟てんぴんの才あるも、社会人事の経験に乏しきは、むろんにして、いわば無勘弁の少年と評するも不当に非ざるべし。この少年をして政治・経済の書を読ましむるは危険に非ずや。政治・経済、もとよりその学を非なりというに非ざれども、これを読みて世の安寧を助くると、これを妨ぐるとは、その人に存するのみ。
 余輩の所見にては、弱冠の生徒にしてこれらの学につくは、なお早しといわざるをえず。その危険は小児をして利刀をろうせしむるに異ならざるべし。
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【岡本綺堂 中国怪奇小説集 酉陽雑爼(唐)】
清河の崔羅什さいらじゅうという青年はまだ弱冠じゃっかんながらもかねて才名があったので、
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【渡辺温 嘘】
――断っておくが、井深君の齢は、そんな身形みなりをしても、未だ三十二歳には少し間があって、しかもその実際よりも更に三つ四つ若く、つまり弱冠はたちそこそこにしか見えないような童顔をしていた。
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【菊池寛 仇討三態】
ことに父が討たれたときに、弱冠であった忠三郎が敵の面体を確かに覚えていようはずがない。
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20歳
丁年 ていねん 男性
  • 一人前として認められるようになる年齢。満二十歳。
  • 強壮の時に あたる年の意。
【森鷗外 遺言三種】
未ダ丁年ニ達セザル時ニ死シテ予ノ遺族恩賜金ヲ受ケ
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【国木田独歩 正直者】
せめて二十五六になればだが君は丁年にすら足りないのだからね

【三島由紀夫 金閣寺】
やがて丁年に達すれば私も兵隊にとられる

【岡本かの子 秋の夜がたり】
丁度国の大戦の為にその国の丁年ていねん以上の男性が大方戦線へ出たその兵士の仲に当然まじつて行つて仕舞ひ、
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【嘉村礒多 崖の下】
さうした母性愛を知らない圭一郎が丁年にも達しない時分に二歳年上の妻と有無なく結婚したのは、
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【大杉栄 続獄中記】
脱衣場では、同志の村木というまだ未丁年の男が一人、蒼い顔をして着物を着かけていた。
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30歳

30代~
50代前半

壮年
そう
そうねん
 
  • 「人生まれて三十年を壮という」「三十曰壯」(「礼記・曲礼上」より)
  • 血気盛んで、人生で一番働き盛りのころ。
  • 30歳くらいの年齢の、最も さかんなころ。
  • 30代から50代半ばを指し、主に40代から50代を指すことが多い。広くは、成年に達してから老年になるまで。
30歳 三十路 みそじ  
  • 30歳のこと。
壮室
年壮
そうしつ
ねんそう
男性
  • 「三十を壮といいて室あり」「三十曰壯、有室」(「礼記・曲礼上」より)
  • 「室」は、結婚をして妻がいることで、「有室」は家庭を築くこと。
而立
立年
じりつ
りゅうねん
男性
  • 論語・為政第二」より
  • 三十(さんじゅう)にして() つ」
  • 「孔子は言います。私は、三十の時に、学問などの基礎がきちっとして、独り立ちができるようになりました。」
40歳 四十路 よそじ  
  • 40歳のこと。
初老 しょろう    
不惑 ふわく 男性
  • 論語・為政第二」より
  • 四十(しじゅう)にして(まど) わず」
  • 「孔子は言います。私は、四十の時に、狭い見方に捕らわれることなく、心の迷いがなくなりました。」
強仕 きょうし 男性
  • 「四十を強といい、しこうして仕う」「四十曰強、而仕」(「礼記・曲礼上」より)
  • 「仕う」は、「仕官する」の意。
  • 智力、気力ともに充実している年齢。
48歳 桑年 そうねん  
  • 桑という字の異体字の「桒」が、四つの十と八に分けられることから。
  • 10 × 4 + 8 = 48
50歳 五十路 いそじ  
  • 50歳のこと。
五十算 ごじっさん    
中老 ちゅうろう    
知命
天命
ちめい
てんめい
男性
  • 論語・為政第二」より
  • 五十(ごじゅう)にして天命(てんめい)() る」
  • 孔子は言います。私は、五十の時に、天が自分自身に与えた使命を自覚しました。」
艾年
艾服
がいねん
がいふく
 
  • 「五十曰艾、服官政」「五十曰艾、服官政」「五十を がい という、官政かんせいにふくす 」(「礼記・曲礼上」より)
  • がい 」 は、よもぎのことで、髪がよもぎのように白くなる年齢という意。また、朝政に参与する年齢であるという意。「 がい」は、もぐさでもある。
杖家 じょうか  
  • 家の中で杖を用いることが許されるとされた年齢。(「礼記・王制篇」より)
60歳 六十路 むそじ  
  • 60歳のこと。
耳順 じじゅん 男性
  • 論語・為政第二」より
  • 六十 ( ろくじゅう ) にして 耳順 ( みみしたが ) う」
  • 「孔子は言います。私は、六十の時に、何を聞いても素直に受け入れることができるようになりました。」
杖郷 じょうきょう  
  • 郷土で杖を用いることが許されるとされた年齢。「礼記・王制篇」より。
杖者 じょうしゃ  
  • 杖をつく人。
本卦還り ほんけがえり  
  • その人が生まれた年の干支と同じ干支の年がくることを指す。
丁年 ていねん  
  • 丁が終わる年齢。
  • 丁は、律令制で二十一歳から六十歳の男性。女性にも使う。
下寿 かじゅ  
  • 長寿の畏敬を三つに分け、六十歳を下寿、八十歳を中寿、百歳を上寿とする考え方。
 
  • 「六十曰耆、指使」(「礼記・曲礼上」より)
  • 「指使」は、「指図して人を使う」の意。
61歳 還暦 かんれき  
  • 数え六十一歳(満六十歳)のこと。
  • 数え六十一歳(満六十歳)に、その人が生まれた年の干支がまた戻って来て、長寿であることを神に感謝し祝う行事。
  • 十干と十二支の組み合わせで六十一年目に元の干支に戻る。
華甲
華寿
華年
かこう
かじゅ
かねん
 
  • 「華」という字が、六つの「十」と、「一」とに分解できることから。
64歳 破瓜 はか 男性
  • 「瓜」という字を縦二つに割ると、「八」が二つになり、掛けると「六十四」になることから「男性六十四歳」を指す。
  • 「瓜」の字の「八」が二つは、足すと「十六」になることから、「破瓜」は「女性十六歳」も指す。
70歳 七十路 ななそじ  
  • 70歳のこと。
古希
古稀
こき  
  • 「人生七十古来稀 (じんせいしちじゅう こらいまれなり)」(「曲江詩・杜甫」より)
従心 じゅうしん 男性
  • 論語・為政第二」より 
  • 七十(しちじゅう)にして(こころ)(ほっ)する(ところ)(したが)えども、(のり)() えず」
  • 「孔子は言います。私は、七十の時に、自分がしたいと思う言動をしても、人の道を踏み外すことがなくなりました。」
踰矩 ゆく
杖国 じょうこく 男性
  • 国中どこでも杖を用いることが許されるとされた年齢。(「礼記・王制篇」より)
七秩 しちちつ    
七旬 しちじゅん    
致仕 ちし  
  • 「大夫七十、而致事」(「礼記・曲礼上」より)
  • 七十歳になると退官を許したところから。
懸車 けんしゃ  
  • 中国で定められた退官の年齢。致仕の年。
  • 退官した時に帝から贈られた車を、記念として高く懸けて子孫に伝えたという「漢書」薛広徳(せつこうとく)伝の故事。
ぼう  
  • 「七十曰老、而傳」(「礼記・曲礼上」より)
  • 「伝」は、「教えを後人に伝える」の意。
77歳 喜寿 きじゅ  
  • 「喜」の草書体の「㐂」が七十七に見える所から。
80歳 八十路 やそじ  
  • 80歳のこと。
傘寿 さんじゅ  
  • 「傘」の略字の「仐」が、八と十とに分解できることから。
杖朝 じょうちょう 男性
  • 朝廷でも杖を用いることが許されるとされた年齢。(「礼記・王制篇」より)
中寿 ちゅうじゅ  
  • 長寿の畏敬を三つに分け、六十歳を下寿、八十歳を中寿、百歳を上寿とする考え方。
八秩 はっちつ    
81歳 半寿 はんじゅ  
  • 「半」の字が、八、十、一と分解できることから。
盤寿 ばんじゅ  
  • 将棋の盤が、 九×九 = 八十一 マスあることから。
漆寿 しつじゅ  
  • 礼記より
80歳以上
(90歳)
ぼう  
  • 「八十、九十曰耄、七年曰悼、悼與耄雖有罪、不加刑焉」(「礼記・曲礼上」より)
  • 「八十、九十を「もう」といい、七歳未満を「とう」という。「耄」「悼」には、たとえ有罪でも刑罰を科してはならない。
88歳 米寿 べいじゅ  
  • 八十八を一つの字にすると「米」になることから。
90歳 九十路 ここのそじ  
  • 90歳のこと。
卒寿 そつじゅ  
  • 「卒」を略した字の「卆」を分解すると、九と十に見えることから。
鳩寿 きゅうじゅ  
  • 「鳩」の字に「九」の字が含まれ、音も「きゅう」であることから。
99歳 白寿 はくじゅ  
  • 「百」の字から、一つ目の画を取ると「白」になることから。
  • 100(百) - 1(一) = 99で、百から一を取った「白」を99に当てた。
100歳 百寿 ひゃくじゅ
ももじゅ
   
紀寿 きじゅ  
  • 「紀寿」は、1世紀 = 100年から。
上寿 じょうじゅ  
  • 「上寿」は、長寿の畏敬を三つに分け、六十歳を下寿、八十歳を中寿、百歳を上寿とする考え方。
  • 上寿を百二十歳、中寿を百歳とする考え方もあるとされる。

期頤

きい
 
  • 「期」は百年の意。「頤」は養うの意。
  • 「百年を期と曰い、頤(やしな)わる」「百年曰期、頤」(「礼記・曲礼上編」より)
108歳 茶寿 ちゃじゅ  
  • 「茶」の字は、冠部分が「十」が二つと、旁が「八十八」に分けられ、これを足すと「百八」になることから。
  • (10 + 10) + 88 = 108
111歳 皇寿 こうじゅ  
  • 「皇」の字の「白」が、「白寿」の際の考え方からから、「百」から一を取った「九十九」で、「王」の字は、「十」と「二」からなり、これを足すと「百十一」になることから。
  • 99(白) + 10(十) + 2(二) = 111
川寿 せんじゅ  
  • 「川」の字が、数字の「111」と読めるため。
119歳 頑寿 がんじゅ  
  • 「頑」の字を「二、八、百、一、八」に分解し、これを足してゆくと「119」となることから。
  • 2 + 8 + 100 + 1 + 8 = 119
120歳 昔寿 せきじゅ  
  • 「昔」の字を分解すると、「廿 (20)」と「 百」になることから。
大還暦 だいかんれき  
  • 二回目の還暦を迎えたことになるため。
  「長寿の祝い」の一覧はこちらから 
  三十路、四十路などの一覧はこちらから 

論語・孔子について

『論語』が基になった年齢を表す言葉

志学 ( しがく )
十五歳
而立 ( じりつ )
三十歳
不惑 ( ふわく )
四十歳
知命 ( ちめい )
五十歳
耳順 ( じじゅん )
六十歳
従心 ( じゅうしん )
七十歳

年齢を表す言葉の基になった『論語』
『論語』巻一・為政(い せい)第二より

【白文・原文】

子曰、吾十有五而志於学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而從心所欲、不踰矩。

【訓点を付けて】

子曰、吾十有五而志。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所一レ欲、不矩。

読み下し

( ) ( いわ ) く、「 ( われ ) 十有五 ( じゅうゆうご ) にして ( がく ) ( こころざ ) す。 三十 ( さんじゅう ) にして ( ) つ。 四十 ( しじゅう ) にして ( まど ) わず。 五十 ( ごじゅう ) にして 天命 ( てんめい ) ( ) る。 六十 ( ろくじゅう ) にして 耳順 ( みみしたが ) う。 七十 ( しちじゅう ) にして ( こころ ) ( ほっ ) する ( ところ ) ( したが ) えども、 ( のり ) ( ) えず」と。

し いわく、「われ、じゅうゆうご にして がくに こころざす。さんじゅう にして たつ。しじゅう にして まどわず。ごじゅう にして てんめいを しる。ろくじゅう にして みみ したがう。しちじゅう にして こころの ほっする ところに したがえども、のりを こえず」と。

 《参考》

読み下しには他の例もあります。 Wikipedia より)

しの いわく(のたまわく)、われ とお あまり いつつ にして まなぶに こころざす。 みそじ にして たつ。 よそじ にして まどわず。 いそじ にして あめの みことを しる。 むそじ にして みみ したがう。 ななそじ にして こころの ほる ところに したがいて のりを こえず。 

 《参考》

『子曰』の読み下しには、いくつかの例があります。

  1. 「 ()(いわ) く」 
  2.「 ()(のたま) わく」 
  3.「 ()(のたま)わく」

このうち『のたまわく』は、孔子に尊敬の念を持って、または、神格化して使われるという解釈があります。『論語』は、孔子の死後何代かにわたって孔子の弟子たちが編集したものですので、弟子が先生に尊敬の念を込めているという解釈です。

意味

孔子は言います。

私は、

十五の時に、学問で身を立てようと決心しました。

三十の時に、学問などの基礎がきちっとして、独り立ちができるようになりました。

四十の時に、狭い見方に捕らわれることなく、心の迷いがなくなりました。

五十の時に、天が自分自身に与えた使命を自覚しました。

六十の時に、何を聞いても素直に受け入れることができるようになりました。

七十の時に、自分がしたいと思う言動をしても、人の道を踏み外すことがなくなりました。

と。

孔 子

孔子像

● 孔子(こうし)

● 本名 :孔丘 ( 氏名うじなは孔、いみなきゅうあざな仲尼ちゅうじ

● 「孔子」の「子」は尊称で、「先生」という意。

● 生没年 : 紀元前(BC)551年 ~ 紀元前(BC)479年 
  前552年、前550年生まれという説も。
  73歳で没。(前552年没とすれば74歳)
   ※ネット版「中華百科全書」によれば、前553年〜前479年。

● 今年で生誕何年?(紀元前551年生まれとして)
  今年( 年)で、生誕

● 今年で没後何年?
  今年( 年)で、没後

● 生まれ : の国の陬邑すうゆう(山東省曲阜きょくふの東南)

● 中国、春秋時代の思想家で、その教えが「儒教」。

● 孔子や門人などの言葉や行い、孔子と門人たちの対話などを、孔子の死後何代かにわたって孔子の弟子たちが編集したのが『論語』。

● 『論語』は、四書の一つ。

● 『四書』は、儒教の基本聖典で、「大学」「中庸」「論語」「孟子」のこと。

『礼記(らいき)・曲礼上』より、年齢を表す言葉の例

【白文・原文】

人生十年曰幼 學 二十曰弱 冠 三十曰壯 有室 四十曰強 而仕 五十曰艾 服官政 六十曰耆 指使 七十曰老 而傳 八十九十曰耄 七年曰悼 悼與耄雖有罪不加刑焉 百年曰期 頤

読み下し

人生十年を「幼」と曰ふ、學ぶ。二十を「弱」と曰ふ、冠す。三十を「壯」と曰ふ、室有り。四十を「強」と曰ふ、而して仕ふ。五十を「艾」と曰ふ、官、政に服す。六十を「耆」と曰ふ、使を指す。七十を「老」と曰ふ、而して傳ふ。八十九十を「耄」と曰ふ、七年「悼」と曰ふ、悼と耄とは罪有りと雖へども刑を加えず。百年を「期」と曰ふ、頤う。

ひとまれて十年じゅうねんようう。まなぶ。二十にじゅうじゃくう。かんす。三十さんじゅうそうう。しつり。四十しじゅうきょうう。しこうしてつかう。五十ごじゅうがいう。官政かんせいふくす。六十ろくじゅうう。指使ししす。七十しちじゅうろうう。しこうしてつたう。八十はちじゅう九十きゅうじゅうぼうう。七年しちねんとうう。とうぼうとはつみりといえども、けいくわえず。百年ひゃくねんう。やしなう。

現代語訳

 生まれてから十年目を「幼」と言い、先生について学び始めるときである。二十を「弱」と言い、元服して冠をかぶる歳である。三十を「壯」といい、結婚をする歳である。四十を「強」と言って、正式に仕える。五十を「艾」といい、部下に指図するようになる。六十を「耆」と言い、部下に任せられるようになる。七十を「老」と言い、後任に引き継ぐ。八十九十を「耄」といい、七歳を「悼」というが、悼までと耄からとは、過ちを犯しても、刑を加えられることはない。百歳を「期」といい、周囲が大事に養う。

 この時期(周代)は、現在の半年を1年とする暦を用いており、その年齢計算であるという説がある。


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Last updated : 2023/11/20