みんなの知識【ちょっと便利帳】
 
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二十四節気
(にじゅうしせっき)
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節分
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月令十二態・泉鏡花
一月
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年齢の名称・異称
 志学、弱冠、而立、不惑、知命、耳順、従心など
論語について
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年回忌
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年齢の名称・異称
年齢
別称・異称
読み
意味など
 2、3歳  孩提  がいてい  嬰児(みどりご)、幼子(おさなご)。孩は幼児がにっこり笑うこと、提は抱かれることの意から幼児を指す。
【石川啄木 渋民日記】
 笑ふ時の笑くぼは、無心の孩提のそれの様に愛らしくて、
 7、8歳  三尺の童子  さんせきのどうじ
(さんじゃく)
  三尺は小さいことの意。一尺は二歳半のことで、三尺は七、八歳を指す。このころの年齢のこどもの身の丈が三尺ほどだからとする説も。無知な者のたとえにも。
【夏目漱石 吾輩は猫である】
 もし腕力に訴えたなら三尺の童子も吾輩を自由に上下し得るであろうが、
【寺田寅彦 知と疑い】
 地球上の物体が地面に向かって落ちる事は三尺の童子もこれを知る。
 10歳  幼学  ようがく   「人生まれて十年を幼といいて学ぶ」(「礼記・曲礼上」)より
 15歳  志学  しがく    「論語・為政第二」より
 15歳・女子  笄年  けいねん  女子は、十五で簪(かんざし)をつけて成人となったことから。 
 16歳・女子  破瓜  はか   「瓜」という字を縦二つに割ると、「八」が二つになり、足すと「十六」になることから「女子十六歳」を指す。掛けて「六十四」になることから「男子六十四歳」も指す。
 20歳  弱冠  じゃっかん    「二十を弱といいて冠す」(「礼記・曲礼上」)より。中国・周代の制度で、男子は二十歳で冠を付けて成人(元服)した。 年が若いことも指す。
若冠二十歳」 や、「若干二十歳」は誤り。
【岡本綺堂 中国怪奇小説集 酉陽雑爼(唐)】
 清河の崔羅什(さいらじゅう)という青年はまだ弱冠(じゃっかん)ながらもかねて才名があったので、
【渡辺温 嘘】
 ――断っておくが、井深君の齢は、そんな身形(みなり)をしても、未だ三十二歳には少し間があって、しかもその実際よりも更に三つ四つ若く、つまり弱冠(はたち)そこそこにしか見えないような童顔をしていた。
【菊池寛 仇討三態】
 ことに父が討たれたときに、弱冠であった忠三郎が敵の面体を確かに覚えていようはずがない。
 20歳・男子  丁年  ていねん   一人前として認められるようになる年齢。満二十歳。強壮の時に丁(あた)る年の意。
【森鴎外 遺言三種】
 未ダ丁年ニ達セザル時ニ死シテ予ノ遺族恩賜金ヲ受ケ
【国木田独歩 正直者】
 せめて二十五六になればだが君は丁年にすら足りないのだからね
【三島由紀夫 金閣寺】
 やがて丁年に達すれば私も兵隊にとられる
【岡本かの子 秋の夜がたり】
 丁度国の大戦の為にその国の丁年(ていねん)以上の男子が大方戦線へ出たその兵士の仲に当然交(まじ)つて行つて仕舞ひ、
【嘉村礒多 崖の下】
 さうした母性愛を知らない圭一郎が丁年にも達しない時分に二歳年上の妻と有無なく結婚したのは、
【大杉栄 続獄中記】
 脱衣場では、同志の村木というまだ未丁年の男が一人、蒼い顔をして着物を着かけていた。
 30歳
 30代〜
 50代前半
 壮年  そうねん   血気盛んで、人生で一番働き盛りのころ。 「人生まれて三十年を壮という」(「礼記・曲礼上」)より。30歳くらいの年齢の、最も壮(さか)んなころ。30代から50代半ばを指し、主に40代から50代を指すことが多い。広くは、成年に達してから老年になるまで。
 30歳  壮室  そうしつ   「三十を壮といいて室あり」(「礼記・曲礼上」)より。 「室」は、結婚をして妻がいること。
 30歳  而立  じりつ    「論語・為政第二」より
 40歳  不惑  ふわく    「論語・為政第二」より
 40歳  強仕  きょうし   「四十を強といい、しこうして仕う」(「礼記・曲礼上」)より。 「仕う」は、「仕官する」の意。
 48歳

 桑年

 そうねん   桑という字の異字体「」が、四つの十と八に分けられることから四十八歳を指す。
 50歳  知命  ちめい    「論語・為政第二」より
 50歳  艾年  がいねん   「五十を艾(がい)という」(「礼記・曲礼上」)より。 「艾(がい)」は、よもぎのことで、髪がよもぎのように白なる年齢という意。「艾(がい)」は、もぐさでもある。
 60歳  耳順  じじゅん    「論語・為政第二」より
 60歳  還暦  かんれき   数え六十一歳(満六十歳)のこと。数え六十一歳(満六十歳)に、その人が生まれた年の干支がまた戻って来て、長寿であることを神に感謝し祝う行事。十干と十二支の組み合わせで六十一年目に元の干支に戻る。「本卦還り(ほんけがえり)」「華甲」とも。
 60歳  丁年  ていねん   丁が終わる年齢。丁は、律令制で二十一歳から六十歳の男子。女子にも使う。
 64歳・男子  破瓜  はか   「瓜」という字を縦二つに割ると、「八」が二つになり、掛けると「六十四」になることから「男子六十四歳」を指す。足して「十六」になることから「女子十六歳」も指す。
 70歳  従心  じゅうしん    「論語・為政第二」より 
 70歳  古希(稀)  こき   「人生七十古来稀 (じんせいしちじゅう こらいまれなり)」(「曲江詩・杜甫」)より
 その他 「長寿の祝い」はこちらから

『論語』が基になった年齢を表す言葉


志学=十五歳、 而立=三十歳、 不惑=四十歳、 知命=五十歳、

耳順=六十歳、 従心=七十歳

年齢を表す言葉の基になった『論語』


子曰、「吾十有五而志。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所一レ欲、不矩。」  〔為政(い せい)第二〕

『論語 〔為政第二〕』の読み方

子曰( し い)はく、「(われ)十有五(じゅうゆう ご)にして(がく)(こころざ)す。三十(さん じゅう)にして()つ。四十(しじゅう)にして(まど)はず。五十(ごじゅう)にして天命(てんめい)()る。六十(ろくじゅう )にして耳順(みみしたが )ふ。七十(しちじゅう )にして(こころ )(ほっ)する(ところ )(したが )へども、(のり)()えず」と。
『論語 〔為政第二〕』の意味


孔子は言います。

私は、十五の時に学問で身を立てようと決心しました。

三十の時に、学問などの基礎がきちっとして、独り立ちができるようになりました。

四十の時に、狭い見方に捕らわれることなく、心の迷いがなくなりました。

五十の時に、天が自分自身に与えた使命を自覚しました。

六十の時に、何を聞いても素直に受け入れることができるようになりました。

七十の時に、自分がしたいと思う言動をしても、人の道を踏み外すことがなくなりました。

と。

孔 子


孔子(こうし)

本名 :孔丘 〔名は丘(きゅう)、字(あざな)は仲尼(ちゅうじ)〕

生没年 : 紀元前(BC)551〜紀元前(BC)479 (七十三歳で没) 前552年、前550年生まれという説も。

生まれ : 魯(ろ)の国の陬邑(すうゆう) 〔山東省曲阜(きょくふ)の東南〕

中国、春秋時代の思想家で、その教えが「儒教」

孔子や門人などの言葉や行い、孔子と門人たちの対話などを、孔子の死後何代かにわたって孔子の弟子たちが編集したのが『論語』。

『論語』は、四書の一つ。

『四書』は、儒教の基本聖典で、「大学」「中庸」「論語」「孟子」のこと。



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