『浮世絵・錦絵』を見る「目次」 
  • ここでは、国立国会図書館が所蔵し公開する画像を中心に、浮世絵・錦絵に描かれた『両国の花火』『両国の川開き』を見てみます。
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  • ページ中段に、ボストン美術館が所蔵する 100 枚近い両国の花火に関する錦絵をまとめて掲載しました。
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《 知識 》

 5月28日は「花火の日🎆」とされています。これは、享保18年5月28日(1733年7月9日)の江戸・両国川開きにおいて、大飢饉や疫病による死者供養と災厄除去を祈願し、花火師、六代目鍵屋弥兵衛が花火を打ち上げたとされることに由来します。両国川開きは、現在の隅田川花火大会に引き継がれています。

 江戸時代後期に出版された「江戸名所図会」(天保5年 - 7年〈1834年-1836年〉)には『両国橋 浅草川の末、吉川町と本所元町の間に渡す。(中略)この地の納涼は、五月廿八日に始まり八月廿八日に終わる』とあります。

 *「江戸名所図会」は、 斎藤月岑さいとうげっしん(文化元年〈1804年〉- 明治11年〈1878年〉3月6日)が出版した江戸とその近郊を扱う挿絵入り地誌。7巻20冊で構成される。

 同じく江戸時代後期に出版された「守貞謾稿もりさだまんこう」には、花火を打ち上げる図とともに次のように記されています。

 五月二十八日 浅草川川開き 今夜初めて、両国橋の南辺において花火を上ぐるなり。諸人、見物の船多く、また陸にても群集す。今夜より、川岸の茶店、夜半に至るまでこれあり。軒ごと、絹張り行燈に種々の絵をかきたるを釣り、茶店・食店等、小提灯を多く掛くる。茶店、平日は日暮限りなり。今日より夜を ゆるす。 その他観場および音曲、あるひは咄・講談のよせと云ふ席等も、今日より夜行を聴す。
 今夜大花火ありて、後、納涼中、両三回また大花火あり。その費は、江戸中、船宿および両国辺茶店・食店よりこれを募るなり。納涼は専ら屋根舟に乗じ、浅草川を逍遥し、また両国橋下につなぎ涼むを、橋間はしまにすゞむと云ふ。大花火なき夜は、遊客のもとめに応じて、金一分以上これを焚く。
 因みに云ふ、大坂にては難波橋辺、鍋島蔵邸前にて花火を焚く。

 *「守貞謾稿」は、天保8年(1837)から慶応3年(1867)まで、30年間にわたり、喜田川守貞によって書かれた江戸時代後期の風俗史。 [ ]

 また、江戸時代の文献「江戸年中行事」(刊年不明)に、『五月廿八日 同日より 両国橋涼、花火ともし初、茶屋・見せ物、都にて七月下旬まで夜みせ出す(国立国会図書館の版では、八月下旬と朱書きがある)』とあります(『江戸年中行事』(国立国会図書館)  )。

花火の日🎆」はもう一つあって、1948年(昭和23年)8月1日に、太平洋戦争中に中止されていた花火が解禁されたことにちなむもので、こちらは8月1日です。

浮世絵・錦絵に見る

 『両国の花火・両国の川開き』 
川開きの浮世絵・錦絵 
随筆『両国の川開き』 
※画像をクリックすると拡大します。

両国夕納涼之図
歌川豊国三代/歌川国貞初代
嘉永3年(1850年) [*都]
(3枚のつなぎ合わせ)
 描かれている役者は、坂東彦三郎四代、岩井粂三郎三代、市川九蔵二代、坂東竹三郎初代
《ボストン美術館所蔵版》
  • ここからはボストン美術館が所蔵する版です。
  • 一つの標題に複数の作品が掲載されているものがあります。版や摺り、保存状態によると思われる違いなども見ることができます。
  • ここでは色調補正は行っておらず、ボストン美術館所蔵の原画のままです。
  • 表題、絵師名、制作年は、ボストン美術館資料の表記を参考にしました。
 
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Last updated : 2022/11/23