第2次世界大戦で連合国側に無条件降伏をした日本は、ポツダム宣言に沿って、それまでの「大日本帝国憲法 ( だいにほんていこくけんぽう ) 」を改正し、1946年・昭和21年11月3日に新しい「日本国憲法 ( にほんこくけんぽう ) 」を公布、その6か月後の翌年1947年・昭和22年5月3日に施行しました。
これを受けて、新しい「日本国憲法」を児童生徒に理解してもらうための本がいくつか出版されました。
文部省が編纂した「あたらしい憲法のはなし 」 (1947年・昭和22年8月2日発行)や、ここに紹介する「少年少女のための民主読本」(1947年・昭和22年4月10日国民学芸社発行)などです。
この「少年少女のための民主読本」は、当時、東京高等師範学校附属国民学校教官であった篠原重利 ( しのはらしげとし ) 氏によって書かれたものです。
このページでは、「少年少女のための民主読本」の中の、ポツダム宣言・民主主義・平和主義・日本國憲法・自治・討議・勉學・健康・習慣・禮法・家庭・宗敎・遊び・競技・規則・金錢・物品・外國人・國旗・國歌の項目のうち、「ポツダム宣言」「民主主義」「平和主義」「日本国憲法」について抜粋しました。
《編集注・著者について》
篠原重利氏(明治41年・1908年〜1966年・昭和41年)は、東京高等師範学校附属国民学校教官から、東京教育大学付属小学校教諭となり、社会科の教科書や道徳に関する本を執筆している。
「社會科ノート 小學五・六年用」(1947)
「小学一年生の教育」 (1949)
「小学二年生の教育」 (1949)
「社会科学習相談」(1950)
『社会科資料単元 小学校4年上・中・下巻』(1951〜1952)
「道徳教育―道徳の体系的考察・道徳教育の原理と方法」 (1953)
「道徳教育―道徳の体系的考察 道徳教育の原理と方法」 (1954)
「小・中学校における道徳実践指導講座〈第1巻〉」 (1955)
「家庭における小学生の学習導き方〈5年〉」 (1957)
「家庭における小学生の学習導き方〈6年〉」 (1957)
「社会科学習文庫 : 改訂指導要領により 6年用 4集 37」(1958)
「社会科学習文庫 : 改訂指導要領により 6年用 5集 45」(1958)
『社会科の図鑑(学習図鑑シリーズ13)』谷口五男 篠原重利 石山忠造共著(1959) など
少年少女のための民主読本
篠原重利著 昭和22年・1947年4月10日 国民学芸社発行
はしがき
新しく生まれそだとうとしている日本をやがてせおって立たねばならぬ私たちは、正しくふだんの生活をいとなむとともに、社会の発展のためにはどんな心がけや知識が大切なのか、またどんなきまりが必要なのかが、はっきり自分で「こうだ」とわかるようにならなければなりません。
そこで私たちは、いったいどんな生活をしたらよいのか、正しい生活とはどんな生活なのか、また正しい生活をしていくためにはどんな考え、どんな知識、どんなきまりが必要なのか、そういったことについて参考になることを書いてみたいと思います。
しかしこれからの人間は「自分」とゆうものを、はっきりとうち立てていかなければなりません。自分で考え、自分で判断し、自分で行動する。いいかえると自分が自分の「主人」となることが大切です。何の考えもなく他人のまねをしたり、他人からいいつけられなければ、しごとができなかったりしたのでは、他人が自分の主人であるといわれてもしかたがないでしょう。
自分が自分の主人となることによって、あなたはあなたの持って生まれた天分、うまれつきをすくすくとのばすことができ、他人とちがった個性がみがかれ、かがやいてくるのです。
そうして個性を発揮した人々が、心を合せ力を一つにすることによって、私たちの住むこの世の中、社会とゆうものが発展していくのです。
こうゆうわけですから、この本を読むあなたは、この本に書いてあることがらを、一通りおぼえればそれでよいとしないで、これによって自分の生活を反省し、正しい自分の生活を建設していくための参考にするとともに、自分の考え方や行動のしかたをねりみがく材料にしていただきたいと思います。本を主人とするのでなくて、「自分」をあくまで主人とすることを忘れないで、この本を読んでいただくようにお願いして、はしがきとします。
昭和二十二年一月 東京都板橋の寓居にて 著者 しるす
ポツダム宣言
一 今の日本は独立国なのでしょうか。
独立国ではないと思います。独立国というのは、他のどこの国にも従わず、自分の国のことは自分の国で思うようにやっていける国ですが、今の日本は連合国の軍隊にせんりょうされ、天皇と政府は連合国最高司令官のさしずやゆるしによって、政治をしているのですから、独立国とゆうわけにはいきません。
二 連合国最高司令官は誰ですか。
マッカーサー元帥です。
三 マッカーサー元帥は何をもとにして、さしずをしたり、許可をしたりしているのですか。
ポツダム宣言だと思います。
四 ポツダム宣言は誰がきめた宣言ですか。
ベルリン郊外のポツダムとゆうところでアメリカのトルーマン大統領とイギリスのチャーチル首相との間できめられ、中華民国の蒋介石主席の同意を得て、1945年(昭和二十年)七月二十六日に発表されたもので、正しくは「アメリカ、イギリス、中華民国三国の宣言」といわれていますが、その後ソ連が参加したので四国共同の宣言とみなされるようになりました。
五 ポツダム宣言にはどんなことが書かれていますか。
日本に対して戦争のとどめをさす用意ができたことを宣言するとともに、これを実際に加える前に日本に戦争をやめさせる最後の機会を与えることとし、そのための条件を示したものです。
六 戦争をやめさせる条件とはどんなことですか。
a 軍国主義をとりのぞくこと。
b 連合国の定める日本領土内の諸地点を占領すること。
c 日本の龍土は、本州、北海道、九州、四国と連合国の決める諸小島となること。
d 軍人は完全に武装をとかれて後に自分の家へかえり、平和的な生産的な生活をしてよいこと。
e 民主主義の国となるべきこと。
f 戦争犯罪人を罰すべきこと。
g 平和産業はゆるされること。
などです。
七 軍国主義とはどんな主義ですか。
軍国主義とは前もって戦争を考えてそのじゅんびに最も多くの力をそそぎ、それを中心として国をととのえ、他国に対しても戦争とゆう方法で自分の考えを通そうとする主義です。
八 軍国主義をとりのぞくためにどんなことが行われましたか。
陸軍、海軍のとりやめ、軍事施設のとりのぞき、軍国主義や行きすぎた国家主義の考えをもった国体の解散、そのようなきまりや教育のとりやめ、またこれらの国体きまり活動に重要な役割をした人たちの中で、特に責任の重いものは戦争犯罪人として裁判され、そうでないものも公のしごとからしりぞかされています。
九 いまあなたは行きすぎた国家主義といいましたが、それはどんな主義ですか。
軍国主義と結びついて、日本を戦争に追いこんだ考えで、それは自分の国を愛することが行きすぎて、国家のためとゆう名のもとに、国民の一人々々の幸福をそっちのけにし、また他の国々の立場を考えない主義です。
一〇 では行きすぎない国家主義はよいのですか。
人間は国家のうちで、もっともきまりのよい協同生活をすることができます。そして自分の国を愛するのは、私たちが自分の家を愛するのと同じように人間の自然のきもちですから、自分の国のためにつくすことはよいことですが、国家のために人間があるのではなくて、人間のためにこそ国家はあるのです。行きすぎた国家主義は、このことをわすれ国家を何よりも大切なものと考え、他のすべてのことを国家のぎせいにするのです。ですから一人々々の国民がきまりのある、しあわせな協同生活ができるような国家にしてゆこうとゆうような国家主義だったらよいわけです。
また国家は他の国々と仲よく、おたがいにたりないものをゆうずうしあい、長所を学び短所をおぎなうことによって、ともに栄えてゆくものであることを考えて、自分の国を大事にするのならよいのですが、行きすぎた国家主義は自分の国だけがりっぱな国であると思い、自分の国の考えを他の国におしつけようとするのです。
一一 戦争犯罪人とはどんなつみをおかした人ですか。
ポツダム宣言には、連合国の捕虜をぎゃくたいしたものをふくむすべての戦争犯罪人に対してきびしい罰を加えると書いてあります。ですから捕虜をわけもなくいじめたものや、直接戦争をしない住民にひどいことをしたものや、今までに国々の間でとりきめられていた戦時犯罪人ばかりでなく、こんどの戦争をひきおこし、戦争を行った責任のあるものも戦争犯罪人となっています。
一二 日本にゆるされる産業とは、どんな産業ですか。
直接戦争のじゅんびとなる産業はもちろん、のちのち戦争の準備に利用されることになるかもわからないような産業はゆるされなくて、国民が日常の生活をしていくために必要な産業や、連合国が日本から戦争のつぐないとして取りたてる品物をつくる産業はゆるされます。またそのために原料を輸入すること、将来世界の国々と貿易をすることもゆるされることになっています。
一三 連合国の占領軍はいつ日本からひきあげるのですか。
ポツダム宣言が日本にもとめていることをわが国がまじめに実行していると連合国がみとめた時だろうと思います。
いいかえると軍国主義や、行きすぎた国家主義がとりのぞかれて、戦争をひき起こす心配がなくなり、国民が自分で自由に考えてもっともよいと思う人々を選挙し、その人々のうちから政府がつくられ、その政府が国民に対しても、世界の国々に対しても責任をもって、ほんとうに平和を愛し、文化をたかめる考えで政治を行うことになった時、すなわち日本が、本当に民主主義の国、平和国家、文化国家へ向かうもといがきまった時であろうと思います。
参考 次にポツダム宣言の全文をわかりやすく書いてみましょう。
(*この部分は「ポツダム宣言」のページに抜粋して掲載 )
民主主義
一 ポツダム宣言には日本に民主主義が行きわたることを要求していますが、民主主義とはどんな主義ですか。
民主主義ということばはヨーロッパやアメリカのデモクラシーとゆうことばにあたります。このデモクラシーはギリシャ語のデモクラチャから出たもので、デモクラチャはデモスとクラトスとゆう二つのことばが組合わされたものだといいます。そしてデモスは民衆とか人民とかゆう意味で、クラトスは支配とか政治とかゆう意味だそうですから、デモクラシーとは民衆の支配、人民による政治を指すことになります。リンカーンは民主主義を「人民の、人民のための、人民による政治」といっています。
二 人民の、人民のための、人民による政治とは、どんな政治ですか。
人民の政治とは、政治の主権(国家を治める最高の威力)が人民にあることをいいます。
人民のための政治とは、政府のめあてが人民の生活にあることをいい、人民による政治とは、政治のやりかたが人民の意志にあることをいいます。
三 それでは民主主義ではない政治とゆうものがあるのですか。
世界の歴史を見ますと、皇帝とか王様とか貴族とかがもっぱら権力をにぎり、一般人民の利益や希望におかまいなしに自分たちにつごうのよいような政治をしたことがありました。ひどい時には、人間を牛や馬のようにとりあつかったり、いのちをうばったりしたものです。君主政治とか王制とか貴族政治とか専制政治とかいわれるもののうちにそうした政治が行われました。
それでそれに不満な民衆は自分たちの幸福な生活をいとなむためには民衆自身が政治の権力をにぎり、自ら支配する外にはないと考えるようになり、長い間人民の利益や希望をふみにじる一部の権力者と争いを続けたのです。
(四〜十五まで省略。「諸外国の民主主義の成り立ち」「民主主義の仕組み」など)
十六 わが国では昔から民主主義は行われていたでしょうか。
代々の天皇は国民の幸福をお考えになっていましたが、実際の政治がいつも国民のためになされて来たとゆうことはできません。蘇我氏とか藤原氏とか平氏とか頼朝以後の幕府とかが勝手な政治をしたことを思えばわかるでしょう。
明治天皇は五ヶ条の御誓文を国民にお示しになって、わが国の歴史や外国の進んだところのよいところをくみとり民主主義の政治をなさるようおつとめになりましたが、役人や軍人の一部のまちがった指導によりまた国民の考えのたりなかったことから、民主主義と反対の行きかたをとって、とうとう戦争を引き起こし、世界に対し申しわけのないことをしてしまいました。
十七 五ヶ条の御誓文とはどんなことですか。
一、広く会議を興し万機公論に決すべし。
一、上下心を一にして盛に経綸を行うべし。
一、官武一途庶民に至るまで各々その志をとげ人心をしてうまざらしめんことを要す。
一、旧来の陋習を破り天地の公道に基づくべし。
一、知識を世界に求め大いに皇基を振起すべし。
の五つを明治の始めに天地の神々におちかいになって、この精神で日本の国を進めていこうとなさったのです。
十八 いま日本に民主主義がとなえられているのは、連合国のさしずだからやむを得ないでやっているのですか。
ポツダム宣言にもあるように、連合国は日本に早く民主主義が行われて世界の仲間入りができるようにいろいろ骨を折っていますが、連合国からそう言われなくても民主主義の国、民主主義の人になるのが人類の歴史から見ても、人間のほんとうのありかたからいってほんとうなのです。自分のことは自分がよく知っているように、国民のことは国民が一番よく知っているわけでしょう。自分たちを幸福なしあわせなものにしたいと考えない国民はないはずですから、国民が自ら自分たちをおさめるようにする政治や生活のしかたが一番よいわけです。ですから国がほんとうに進歩発展するのは民主主義がもっともよいのです。しかしそうした民主主義の人間になるためには、国民の一人一人が自分をとうとぶようにすべての人々をとうとび、つねに国民全体のことを頭に入れて、よく考え、正しく判断して行動し、自分のしごとには最善をつくし、それに対しては十分責任を持たなければなりませんから、知識を広め、技術をねり、まじめに生活をすることが大切となります。
日本が民主主義の国となって、世界の国々と肩をならべていくことができるかできないかは、国民の一人々々がほんとうにしっかりしているかいないかによってきまるのです。
平和主義
一 日本には、いま一台の飛行機もなければ、一隻の軍艦もなく、また一人の軍人もいませんね、どうしてですか。
戦争にまけて、ポツダム宣言をうけいらたからです。ポツダム宣言の第九、第十一條によって、日本は一切軍備をもつことをとめられています。
二 だだポツダム宣言にとめられているからだけですか。
直接にはポツダム宣言をまじめに実行することから来たものですが、日本がポツダム宣言をうけ入れたことがもととなって、これから後、他国との間に問題が起こっても、戦争でそれを解決する方法をさけ、平和主義で進んでいこうとゆう考えになったからです。
昭和二十一年一月一日の詔書にも「官民挙げて平和主義に徹し、教養豊かに文化を築き、以て民生の向上を図り、新日本を建設すべし」とおうせになっています。
三 そうするとこれからの日本はどんなことにはげめば世界の国々と肩をならべていけるようになりますか。
武力でもって世界の国々と肩を並べることはできません。しかしほんとうの国の力は武力ではないはずです。人間のほんとうのえらさは腕力ではないでしょう。けんかで一番強い人がえらい人となったらたいへんですね。
人間のえらさは、その人が、どれだけ人類のためにつくすことができるかにあるのです。人類の生活を便利に、豊かに、また美しく、たのしく、仲よくさせていく上に、どれだけの力をつくし得るかによって、人のえらさはきまるのです。科学・芸術・道徳・宗教とゆうものや、政治・法律・経済とゆうものなどを文明とか文化とかいっていますが、文明・文化は、人類の進歩発展、人類永遠の幸福を目的としたものです。
戦争は文明をほろぼすものです。決して人類の幸福をもたらすものではありません、私たちは、あくまで平和のうちに文明を進め、文化を高めることによって世界人類の幸福のためにつくし、そのことによって、日本の国のねうちを高めることができるし、また世界の国々と肩をならべていくことができるのですから、日本はこれから平和国家・文化国家として立ちあがり、りっぱな学問の国、芸術の国、道義の国となるように国民の一人々々がしっかり努力しなければならないと思います。
四 平和主義とゆうのは外国に対してだけの主義ですか。
そうではありません。国内の生活でも、国家全体の向上発展のため、主張しなければならぬところは主張し、ゆずらなければならぬところはゆずりあって、力を合わせ、心を一つにしていかなければならないのです。自分または自分たちの仲間だけの利益のみを、おたがいが言いはってゆずらなかったら、国全体が衰え、共だおれとなってみんなが困ることになってしまいます。
日本国憲法
一 去る十一月三日に新しい憲法が公布されましたね、憲法とはいったいどんなことですか。
国をおさめる大本のきまりで、いろいろの法律や命令はこれにもとづいてきめられるだいじなものです。
二 どうゆうわけで新しい憲法が決められたのですか。
終戦このかた国民の心の中には、わが国をこのような不幸におとしいれた原因を深く反省し、今後日本をたて直すだだ一つの道は、これまでわが国を支配してきた軍国主義をはらいのけ、外に対しては平和主義でおし通し、内に於いては個人の自由を尊重して、民主主義にもとづいた政治のきまりをたて、一部の権力者が国民全体の考えをかえりみないで、政治を勝手にしたり、戦争を始めたりしないようにする外にはないと強く考えるようになり、そのためにはまずわが国の政治の大もとの法である憲法を根本的にあらためることが第一歩であると考えられたからです。
また、ポツダム宣言には、民主主義を強めること、人としての大切な権利を尊重すること。国民の自由な意志にによる平和的な責任ある政府を立てることとゆう三つの要求があり、この要求をまじめに実行するためには、どうしても憲法をあらためなければならないからです。
三 憲法の前文に
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、られらとわららの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
わららは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」
とありますが、この文の中に、平和主義がのべられているところは、どこですか。
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」とありますし、また
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」とあるところです。
四 憲法の本文の中に戦争をしないことを定めてあるそうですが、どんなに書いてあるのですか。
憲法の第二章は戦争の放棄となっていて、第九条に
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
とあります。
五 交戦権とはどんな権利ですか。
交戦権をみとめないとゆうのは、自衛権による戦争もしないとゆうことです。自衛権による戦争とゆうのは、他国から戦争をしかけられるとか、正常な自国の権利をおかされるとか、自国の生存をおびやかされるとかした場合に、自国をまもるための戦争で、自衛戦争と呼ばれているものです。
六 そうるすと日本は、他国から戦争をしかけられても、自分の国の生存をおかされても戦争することはできないのですか。
そうです。一切戦争はできないのです。戦争までいかないような武力の行使も武力によるおどしもできないだけでなく、他国から戦争をしかけられても戦争をすることができないのです。
ですから、日本は、憲法の前文にもあるように「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、わららの安全と生存を保持」するよりはかには方法はないことになります。
しかし戦争は最も大きな罪悪です。世界はすでに原子爆弾時代に入っています。そして再び世界戦争が起こったら、ある民族の盛衰とか、文明の破壊とかゆう生やさしいことに止まらず、人類の滅亡とゆうところまで発展する心配があります。そこで人類は今や世界連邦を作らねばならぬ時になっているのです。もし世界連邦とゆうようなものができれば、各国は自分のもっている武力を、そこへ持ちよりそれを世界の治安をまもる世界警察力となし、各国はみな日本とおなじような姿となるでしょう。そうなるようにわが国は世界に向かって平和を主張しなければならないわけです。
七 憲法前文の中に民主主義についてのべているところは、どんなことですか。
「主権が国民に存することを宣言」するとし、また「国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」とあります。
八 そうしますと、天皇と国民との関係はどうなるのですか。
主権が国民にあるとゆうのは日本国が国としていろいろのしごとをする場合、その行動のもとになる心、いいかえると意志のみなもとが日本国民の全体にあることをいったもので、国民とは国をかたちづくっている人々とゆう意味で、決して天皇にむかいあって立っている人民とゆう意味ではないのです、わが国では、天皇は常に国民とともにいらせられるのであります。今までは一部の権力者が、天皇と国民との間にあって、ことさらに天皇を国民からへだててしまっていたのです。天皇と国民とは一体であるのが、わが国のほんとうの姿なのです。
九 それでは天皇の御地位はどんな地位なのですか。
憲法の第一条に、
「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」
とあるのでわかります。
(以下省略。「憲法逐条解説」など)
*旧字体から新字体への変更など、「ちょっと便利帳」編集において若干の手直しを行っています。