[ 早口言葉や発声、滑舌など、言葉の練習をしましょう ]
外郎売(ういろううり)
= 「外郎売り」とは… =

『歌舞伎十八番 外郎』「虎屋東吉 九世市川団十郎」(国立国会図書館所蔵)
 
    外    
    郎    
    売    
『外郎家』の店構え - 東海道名所圖會(寛政9年・1797年)より
弁舌瀧のごとし 大評判 大入り
  享保三年戊の正月、江戸三座の一つ森田座は二世團十郎の舞台に湧いた。
  演じられたのは團十郎自作の「ういろう売」。爾来、家の芸となった。
外郎売 [ういろううり] とは
歌舞伎十八番(かぶきじゅうはちばん)の中の演目
原題名:若緑勢曾我(わかみどりいきおいそが)
初演:享保3年・1718年 正月。二代目市川團十郎
初演劇場:森田座(江戸)
文化8年・1811年刊(天保12年・1841年再版)の『花江都歌舞妓年代記(はなのえど かぶきねんだいき) 』によれば、「弁舌瀧のごとし。大評判、大入り」で、爾来、家の芸となったとされる。
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曾我十郎が、小田原の「透頂香(とうちんこう)」(通称、外郎=ういろう)という薬を売り歩く商人の扮装で現れ、妙薬の由来や効能を弁舌さわやかに述べ立てる宣伝口上の「言い立て」で、早口言葉を含む長台詞の雄弁術が眼目の役と演技。曾我十郎は五郎にすることもある。

近年の上演としては、大正11年・1922年9月に市川三升(十代目團十郎)が復活上演した作(平山晋吉脚本)、昭和15年・1940年5月に十一代目團十郎が『歌舞伎十八番の内 ういろう』として復活した作(川尻清潭脚本)、昭和55年・1980年5月に海老蔵時代の十二代目團十郎が復活した作(野口達二脚本)とがあり、現在は野口達二脚本が上演されている。(昭和55年の復活については、平成8年・1996年刊の野口達二著「歌舞伎 入門と鑑賞」に詳しい)

昭和55年・1980年5月の復活に当たって当時の海老蔵は、大正11年・1922年及び昭和15年・1940年の復活の際に「言い立て」が台詞としては演じられなくなくなっていたものを、何とか復活させたいと腐心し、講釈師のテープの断片を見つけ野口達二が「言い立て」を入れて台本を書き、この際、厖大な量の「言い立て」を大薩摩を入れて「ちょうどいい寸法」にしたという。

歌舞伎十八番(かぶきじゅうはちばん)は、成田屋の家の芸の集大成で、七代目團十郎が「市川流」の「歌舞妓狂言組十八番」の制定を公表したのは、天保3年・1832年3月の市村座。この舞台で七代目は「助六」を演じ、息子海老蔵(えびぞう)に八代目團十郎を襲名させて自分は海老蔵と改名した。歌舞伎十八番に含まれた狂言は、いずれも初代・二代目・四代目によって初演されたものの中から選ばれている。

「外郎(ういろう)」とは、神奈川県小田原市で作られている大衆薬の一種。正しくは「透頂香(とんちんこう)」で、江戸時代には去痰をはじめとして万能薬として知られ、現在では口中清涼・消臭等に使用するという。

「外郎売(ういろううり)」の台詞は、現代では演劇学校やアナウンサー養成などで、発声や滑舌の練習のために教材としても使われている。

教材としては様々な表記や表現、読み方が見られ、「外郎売」の脚本は実際の舞台でも言い回しを変えることもあるということで、色々あることが不思議ではないとも言えるが、当サイトでは、文化8年・1811年刊(天保12年・1841年再版)の『 花江都歌舞妓年代記(はなのえど かぶきねんだいき) 』に載った團十郎初演の台本とされるものを基に、出来るだけ忠実に再現出来るよう心掛けた。

 
参考文献:  十二代目市川團十郎著『歌舞伎十八番』(2002年 河出書房新社)
 演劇百科事典 (1960年 平凡社)
 歌舞伎辞典 (1983年初版/2000年新訂増補版 平凡社) など
 
  平凡社/演劇百科事典(1984年初版10刷)では、初演の月を「3月」としている。
    なお、平凡社/歌舞伎辞典 (2000年新訂増補版)では、「享保3年」を「1716年」としているが、「1718年」の誤記ではないかと思われる。
   

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Last updated : 2022/11/23