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春・秋の七草

春の七草・春の七種

 春の七草・春の七種

 はるのななくさ
春の七草の寄せ植え(東京都神代植物公園 2014/01/10) 春の七草の寄せ植え(東京都神代植物公園 2014/01/10)

1月7日は、五節句の一つ「人日じんじつ節句せっく」で、
この日を「 七草ななくさ 」「七草の節句」「七種の祝い」などとも言います。

  • 人日じんじつ節句せっく 」の「人日」は「人の日」で、元日からそれぞれの日に獣畜などを当てはめて占う風習が中国にあり、七日目が「人」で、その日を人を大切にする節句にしたとも言われ、それにまつわる中国の風習が日本に伝わったとも言われているようです。
  • 6世紀の半ばに、中国、梁の宗懍そうりんが著した年中行事記の「荊楚歳時記けいそさいじき 」には、『正月七日を人日と為す。七種の菜を以て、 あつものつく る』とあり、これが日本の七草がゆの起源ともされます。

春の七草とはなんでしょうか? 春の七草を声に出して読んでみましょう。

せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ 
これぞななくさ

名称
備考
セリ セリの若菜は香りが良く、お浸しなどの食用に。「七草」の時期以外でも鍋物などに使われる。 セリ科 春の七草 「セリ・芹」
ナズナ ナズナの別名はペンペングサ、シャミセングサ。かつては冬の貴重な野菜で、若苗を食用にする。江戸時代の民間での「七草がゆ」は、江戸ではナズナに小松菜を加え、関西ではナズナにカブを加えた二種ほどであった。[後述 ▼] アブラナ科 春の七草 「ナズナ(ペンペングサ・シャミセングサ)」
春の七草 「ナズナ(ペンペングサ・シャミセングサ)」の花

春の七草 「ナズナ(ペンペングサ・シャミセングサ)」の実
ゴギョウ 御形 ゴギョウは、ハハコグサ(母子草)のこと。オギョウとも。 キク科 春の七草 「ゴギョウ・御形」
春の七草 「ゴギョウ・ハハコグサ」の花

春の七草 「ゴギョウ・ハハコグサ」の種
ハコベラ 繁縷 ハコベのこと。お浸しなどの食用にできるほか、小鳥に野菜代わりとして食べさせたりする。 ナデシコ科 春の七草 「ハコベラ・繁縷」
春の七草 「ハコベ」の花
ホトケノザ 仏の座 現在のホトケノザではなく、コオニタビラコ(小鬼田平子)を指すとするのが一般的になっているが、オオバコであるとする説もあるなど諸説がある。ホトケノザはシソ科だが、タビラコはキク科。 タビラコは
キク科
春の七草 「ホトケノザ・仏の座」

春の七草で「ホトケノザ」とされるキク科の「コオニタビラコ」の花

春の七草で「ホトケノザ」とされるキク科の「コオニタビラコ」の種

シソ科の「ホトケノザ・仏の座」
スズナ
鈴菜
カブ(蕪)のこと。 アブラナ科 春の七草 「スズナ・菘・鈴菜」
スズシロ 蘿蔔
清白
スズシロナの略で、ダイコン(大根)のこと。 アブラナ科 春の七草 「スズシロ・蘿蔔・清白」

    文献に見られる「七草(七種)」の種類

  • 現在言われている春の七草の種類は、室町時代初期の1362年頃 に書かれたとされる『 河海抄かかいしょう 』と言う文献に見られます。
    1.    芹 なづな 御行 はくべら 仏座 すずな すずしろ これぞ七種
             『 河海抄かかいしょう』 : 四辻 善成よつつじ よしなり 著 1362年頃成立
                      「源氏物語」に注解・注釈を加えた大著とされる。
  • 「七草がゆ」の風習

  • 1月7日の朝に、七種類の野菜を入れた「七草粥ななくさがゆ 」を食べる風習があり、単に「七草」というと、この「七草粥」を食べる風習を指すことが多いようです。
  • 「七草粥」を食べて邪気を祓い、一年の無病息災と五穀豊穣を祈るとされる「七草」の風習は、日本の風習と中国の風習が結びついたものと言われています。
  • 日本では、古来から年の初めに野に出て芽を出し始めた草を摘み取る「若菜摘わかなつみ」が行われており、この風習に、中国の「七種菜羹しちしゅさいかん 」という、旧暦1月7日の「人日じんじつ 」の日に、七種類の野菜を入れた あつもの(とろみのある汁物)を食べて無病を祈る習慣が結びついたものと言われています。
  • 古くは七種類の穀物で作られたという説もあり、入っていたものはコメ、クリ、キビ、ヒエ、ミノ、ゴマ、アズキで、「春の七草」が使われるようになったのは鎌倉時代になってからとも言われています。
  • また、文献によれば、小正月と呼ばれる一月十五日にも「七種」の粥を食べたとあります。
    1. 「守貞謾稿 巻之二十六(春時)」 喜田川守貞

      正月十五日、十六日 俗に小正月と云う。
       (前略)
       今日粥を食すこと、始めは、宇多天皇寛平二年正月十五日 [編集注:890年]、七種の粥を献ず。白穀、大豆、赤小豆、粟、栗、稗柿、小角豆なり。これより先、進献定めず。ここに至りて、勅して、今より毎歳供すと云々。古は、今日も七種のかゆを食せしなり。今、あづきがゆも上の七種の一にて、古の遺風なり。けだし今俗は、七種・七草、和訓同じき故これを混ず。
  • 現代の七草の風習やその種類は、地域によって違いもあると言うことですが、6日の夜に厄を払うお唱えをしながら七草をたたき、7日の朝に、たたいた七草を入れたお粥を炊いて神様に供えてから家族で食べ、その年一年の無病息災と五穀豊穣を祈るものとされます。
  • 江戸時代に書かれた文献には [下記参照 ▼]、六日に七草を買い、六日の夜と七日の暁の二度、まな板の脇に薪・庖丁・火箸・擂り粉木・杓子・銅杓子・菜箸などの七具を添え、 歳徳神としとくじん の方を向いて囃子詞を唱えながら七草を七度、合わせて四十九回たたいたとあります。また、江戸時代に民間で使われたのは一、二種で、江戸では「なずな」に「小松菜」を加え、京都・大阪では「なずな」に「かぶ」を加えたとあります。
    • この文献に見られる1月7日のその他の風習として、「 七草爪ななくさずめ」と言って、余ったなずなを茶碗に入れて水に浸し、これに指を浸して爪を切り、爪の斬初きりぞめ としたとあります。この日に爪を切ると、邪気を払うことが出来て一年間風邪を引いたり病気になったりせず、また、一年中、日を選ばずに爪切りをすることが出来るとされます。 [七草爪のページ参照 ▶]
  • 現在の「七草粥」は、一般的には新暦の1月7日に行われますが、元々旧暦の正月は今の2月頃で、そのころになると厳しい寒さの中にも春の陽射しも感じ始め、野草も芽吹き始める頃だったのでしょう。野に芽吹く若菜の力強さにあやかったり、野菜不足を補う意味もあったのでしょうか。現在の1月7日の「七草粥」は、おせち料理で疲れた胃をいたわる意味を持たせたりもしているようです。

    七草の囃子詞はやしことば七草囃子ななくさばやし

  • 七草を “はやして” “叩く” 風習を表す言葉として、「七草たたき」「 薺打なずなうち 」「七草(七種)の囃子」「七草(七種)を囃す」などがあります。
  • 七草囃子ななくさばやし 」として歌われる囃子詞には、様々な伝承があります。
  • 江戸時代の関西での囃子詞下記参考文献「守貞漫稿」より
    • 唐土とうどの鳥が、日本の土地へ、渡らぬさきに、なずな七種ななくさ 、はやしてほとと
  • 江戸時代の江戸での囃子詞下記参考文献「守貞漫稿」より
    • 唐土云々渡らぬさきに、七種なずな
  • 伝承される様々な囃子詞
    • 七草なずな、唐土の鶏が、日本の土地に、渡らぬ先に、ストトントン
    • 七草なずな、唐土の鳥が、渡らぬ先に、ストトン、トントン
    • 七草なずな、唐土の鳥と、日本の鳥が、渡らぬ先に、ストトン、トントン
    • 唐土の鳥と、日本の鳥と、渡らぬ先に、七草なずなな
    • 七草なずな、唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、七草なずな、手につみいれて、こうしとちょう
      • 「こうしとちょう」とは、「亢觜斗張」で、中国古代天文学による二十八宿の中の四つの星、亢、觜、斗、張を指し、これを書くことで鬼車鳥の類を追い払ったという。鬼車鳥は、頭が九つあり、幼児をさらうと恐れられた妖鳥。(神代植物公園資料による)
    • 七草なずな、唐土の鳥が、渡らぬ先に、七草なずな、トコトントントン、トコトントントン
    • 七草なずな、唐土の鳥と、日本の鳥と、渡らぬ先に、トントントン、トントントン
    • 七草なずな、唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、トントンぱたり、トンぱたり
  • 唐土の鳥の意味は…
    • 唐土とうど 」は、「もろこし」「から」とも読み、昔、日本から中国を呼んだ言葉で、ここでの「唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬ先に」などの言葉は、大陸から鳥が疫病を持って来ないうちに、また、農耕に悪さをする鳥を追い払うという意味と思われる。

    【参考】「若菜」についての記述がある文献

  1. 「古今集 春・21」 光孝天皇 (天長7年・830年 〜 仁和3年・887年)

       君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ

                            「小倉百人一首 15

  1. 「枕草子」 清少納言 (康保3年頃・966年頃 〜 万寿2年頃・1025年頃)

       一二六 七日の日の若菜を

     七日の日の若菜わかなを、六日むいか人の、さわぎ取り散らしなどするに、見も知らぬ草を、子どもの取りて来たるを、「なにとかこれをば言ふ」と問へば、とみに言はず、「いま」など、これかれ見合はせて、「耳無草みみなぐさ となむ言ふ」と言ふ者のあれば、「むべなりけり。聞かぬ がほなるは」と笑ふに、またいとをかしげなる菊の、でたるをて来たれば、
       つめどなほ耳無草こそあはれなれあまたしあれば菊もありけり
    と言はまほしけれど、またこれも聞き入るべうもあらず。
    【編集注】底本:小学館「新編 日本古典文学全集」

    【参考】江戸時代に書かれた、「七草」についての記述がある文献

  1. 「守貞謾稿 巻之二十六(春時)」 喜田川守貞

    正月七日 今朝、三都ともに 七種ななくさかゆを食す。 [編集注:三都とは、江戸、京都、大阪のこと]
     七草の歌に曰く、せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すゞな、すゞしろ、これぞ七種。以上を七草と云うなり。しかれども、今世、民間には一、二種を加うのみ。
     三都ともに六日に困民・小農ら市中に出て、これを売る。京坂にては売詞に曰く、吉慶のなずな、祝いて一貫が買うておくれ、と云う。一貫は、一銭を云う戯言なり。江戸にては、なずな/\と呼び行くのみ。
     三都ともに六日これを買い、同夜と七日暁と再度これをはやす。はやすと云うは、まないたになずなを置き、その傍に薪・庖丁・火箸・磨子木すりこぎ杓子しゃくし・銅杓子・菜箸等七具を添え、歳徳神としとくじん の方に向い、まず庖丁を取りて、俎板を拍ち 囃子はやして曰く、「唐土とうどの鳥が、日本の土地へ、渡らぬさきに、なずな七種ななくさ、はやしてほとゝ」と云う。江戸にて「唐土云々渡らぬさきに、七種なずな」と云う。残り六具を、次第にこれを取り、この語をくり返し唱えはやす。
     京坂は、このなずな蕪菜かぶなを加え煮る。江戸にても、小松と云う村より出る菜を加え煮る。けだし、薺をわずかに加え煮て、余る薺を茶碗にれ、水にひたして、男女これに指をひたし爪をきるを、七草爪と云う。今日、専ら爪の斬初きりぞめ をなすなり。京坂には、この行をきかず。ある書に曰く、七草は、七づゝ七度、合せて四十九 たたくを本とす。
     天武天皇十年 [編集注:681年] 正月七日、親王・諸王を内安殿うちのあんどのに召し、諸臣をして外安殿とのあんどのに侍らせ、置酒おおみきをめしてうたまいを賜わらしむ、云々。今日の節会せちえ、これが始めなり。
     宇多天皇、寛平かんぴょう二年 [編集注:890年] 正月上子日じょうねのひ内蔵寮くらりょう内膳司ないぜんしに勅して、若菜を献ぜしむ。その後、あるいは十二種あるいは七種と云々。しかれば、七種のかゆを食すは、上子日を本とするなり。中古以来、七日を用う。またの日の遊びと云いて、野外に出て小松をきて、千歳せんざいを祝いし。遊ぶことの始めは、花山天皇寛和かんな元年 [編集注:986年] 、円融上皇紫野に遊び、船岡山に到りて、野外にまくを張り、小松を折りて、沙上に立ちて宴を設く。これを子日遊ねのひあそびびと謂う、云々。

     江戸も昔は、十六日に門松・注連縄しめなわ 等を除き納む。寛文二年 [編集注:1662年] より、七日にこれを除くべきの府命あり。今に至りて、七日これを除く。これ火災しば/\なる故なり。京坂は、今も十六日にこれを除く。
    【編集注】「守貞謾稿もりさだまんこう」は、天保8年(1837年) から慶応3年(1867年) まで、喜田川守貞きたがわもりさだによって30年間にわたって書かれた江戸時代後期の風俗史。
    【編集注】「 守貞謾稿 もりさだまんこう 」は、国立国会図書館デジタル化資料で読むことが出来ます。

    【参考】七草、七草粥、囃子詞が登場する明治以降の文献

  1. 「絵本江戸風俗往来」
     菊池貴一郎(四代目歌川広重) 1905年(明治38年)


     七種ななくさ

     正月もはや七草となるや、町家は家業に従事するより心にひま なく、武家は七種までは新年の式務にせわしく、七種過ぎより追々平務ふだんに復す。六日の宵は家々の古式、後の世に到りては空しきことも多かるめれども、かわらぬ御代と祝し参らす当時なるまま、御台所掛りにては紋付小袖に麻上下を着し、遠土とおどの鳥の渡らぬ先より、恵方に向かい若草を打ちはやす。ストトントン、戸々に響く。この日門の松飾り・〆縄は取り払い、翌七種は若菜のかゆとうべけるは、当日の祝なりける。
     七草といっても、せいぜい、一、二種だが、江戸では六日に「なず菜なず菜」と呼んで売り歩く。上方では「吉慶のなずな祝うて一貫が買うてくれ」と呼び歩いた。七草をはやすのは鳥追の予祝行事で、「唐土(尊とが正しい)の鳥が日本の国へ渡らぬ先に七草なずな」とはやして叩く。上方では「……なずな七草」といった。六日の晩と七日の早朝の二度はやすのは、今から見ると丁寧至極だが、もとは宵から晩まで時を定めて何回も夜通し叩いたという。七草の粥には江戸では、なず菜少量に小松菜を主に入れた。
    【編集注】この字下げをした部分は、「絵本江戸風俗往来」を、平凡社が「東洋文庫」として出版する際に、編者となった鈴木棠三が解説として書き加えたもの。
    【編集注】「絵本江戸風俗往来」は、明治38年・1905年に出版された「江戸府内絵本風俗往来」を、昭和40年・1965年に平凡社が「東洋文庫」として編纂し出版したもの。菊池貴一郎によって書かれ、鈴木棠三が編者となった。
     著者の菊池貴一郎は、明治から大正にかけての浮世絵師(嘉永2年・1849年 〜 大正14年・1925年)で、四代目歌川広重。江戸の年中行事や市井の雑事に関する話題などを、『江戸の旧事を知るものも稀になった』として、それを伝えるために自らの挿絵を交えて書いた。
    【編集注】「絵本江戸風俗往来」の底本の「江戸府内絵本風俗往来」は、国立国会図書館デジタル化資料で読むことが出来ます。
  1. 「残されたる江戸」 柴田流星 1911年(明治44年)

     三ヶ日と七草

    かくてぞ喜びをまつの内はあわただしく過ぎて、七日のまだき、澄みきったあさの空気に高々と響き亘る薺打なずなうちの音、「七草なずな、唐土の鶏が、日本の土地に、渡らぬ先に、ストトントン」と彼方からも此方からも聞え初めると、昨日までの門松も飾藁も名残なく取去られて、浮世は元の姿にかえるも淋しい。しかし江戸ッ児には二十日正月までの物日はまだ乏しくないのだ。
  1. 田舍の新春」 横瀬夜雨 1934(昭和9

            ななくさがゆ

     正月七日粥をつくる。七種を混じたる粥で米、粟、黍子、稗子、胡麻子、小豆でつくるのが正式らしいがこの辺では野菜を多く入れる。
     冬菜、芋、大根、米などでつくり、七いろはいれない。その菜や大根を刻む時
    七くさ なずな
    唐土の 鳥が
    渡らぬ 先に
    ストトン、トントン
    と唄って、調子をとりながら陽気につくる。この唄は実に庖丁のリズムにあっている。この昔からの唄も次第に忘れられてしまいそうだ。唐土の鳥とはなにを意味するのであろうか。餅なのでお腹の具合がわるくなっている時、この粥は健康上にもいいわけだ。白粥の中に入っている青菜は、青いもののない真冬時であれば、更に新鮮で初々しい。
  1. 「魔像 新版大岡政談」 林不忘 1968(昭和43

     ちょうど七草ななくさの日だ。
     これこそ日本晴れという天気であろう。紺いろの空に、とびが一羽、ゆう々と輪をえがいて、気のせいか、道ゆく人のたもとをなぶる風にも、初春らしいのうごきが見られる。女の廻礼は七日過ぎてからとなっている。町家の内儀ないぎや娘らしいのがそれぞれに着飾って、萠黄もえぎの風呂敷包などを首から下げた丁稚でっちを供にれて三々伍々町を歩いている。長閑のどかな景色だ。
     七草なずな、唐土とうどの鳥が――の唄に合わせて、とことん! とことん! と俎板まないたを叩く音が、吉例により、立ち並ぶ家々のなかから、ふし面白く陽気ようきに聞えて来ていた。
   
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