あの日のラーメン|ラーメン価格
〜 昭和28年から令和8年までのラーメン価格史〜
生まれた年、忘れられないあの日。中華そば(外食)の値段は、いくらだったのでしょうか。
主な年でみると
価格の推移グラフ(1953年〜2026年)
実データ・参考値 補間による推定
※ 1962年〜2025年は、総務省「小売物価統計調査」(特別区部=東京23区)の実データです。2026年は2026年6月時点までの実データ(暫定値)です。1953年・1956年は文献に基づく参考値、1954・1955年、1957〜1961年は前後の記録から直線的に補間した推定値です。
データ提供:総務省統計局 小売物価統計調査(品目「中華そば(外食)」)
ラーメン豆知識
昭和3年〈1928年〉の「らうめん」は、1杯20銭
東京都浅草の「來々軒(来々軒)」は、明治43年〈1910年〉創業で、同地では昭和19年〈1944年〉まで続いた。しょうゆ味の東京ラーメン発祥の店とされ、日本のラーメン文化の元祖ともされる。
昭和3年〈1928年〉の來々軒の「らうめん」は、1杯20銭であったとされる(新横浜ラーメン博物館展示のメニュー表)。
令和8年〈2026年〉7月に、創業者の玄孫の高橋雄作氏が同地に店舗を復活させた。
1930年代のコメディアンで、編集者、エッセイストとしても活動した古川ロッパは次のように記す。
『十二階があったころの浅草、といえば、震災前[編注:関東大震災のことで1923年(大正12年)に発生]のこと。中学生だった僕は、活動写真を見るために毎週必ず、六区の常設館へ通ったものだ。はじめて、来々軒のチャーシュウ・ワンタンメンというのを食って、ああ、何たる美味だ! と感嘆した。
来々軒は、日本館の前あたりにあって、きたない店だったが、このうまかったこと、安かったことは、わが生涯の感激の一つだった。少年時代の幼稚な味覚のせいだったかも知れないが、いや、今食っても、うまいに違いない、という気もする。
支那料理は、五十番や品芳楼もあったが、何と言っても来々軒が圧倒的だった』
(古川緑波「浅草を食べる」)
大正末期から昭和の始め頃のものと思われる
