= 隅田川の渡し =
錦絵などで見る隅田川と渡し

  • 隅田川の渡しすみだがわのわたしは、隅田川にかつて存在した渡し船・渡船場の総称。(隅田川は、東京都北区の岩淵水門で荒川から分岐し、東京湾に注ぐ全長23.5キロメートルの一級河川)
  • 隅田川には、長らく奥州や総州への街道筋に合わせていくつかの渡しが存在した。
  • 戦国時代以降に徳川家康が江戸へと移封されると江戸の町は大きく発展を見せたが、防備上の関係で橋の架橋が制限されたこともあり、市街地を南北に分断する隅田川を渡河するために多くの渡しが誕生した。
  • 江戸時代を通じて渡しは増え続け、最盛期の明治時代初頭には20以上の渡しの存在が確認できる。
  • 関東大震災以後、震災復興事業に伴う新規の架橋も自動車や市電の通行も可能な橋も増え、1966年(昭和41年)に廃止された「汐入の渡し」を最後に、公道の一部としての隅田川の渡しは姿を消した。
  • 《参考》
    • 明治10年〈1878年〉と、明治17年〈1884年〉に出版された、東京の様々な場所などを紹介する印刷物に書かれた「渡し場」。(隅田川とは限らない)
  • ここでは、錦絵などに描かれた隅田川と渡しを見てみる。
《錦絵などで見る隅田川と渡し》
『東都隅田川両岸一覧』鶴岡蘆水
東都隅田川両岸一覧について 
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  • 東都隅田川両岸一覧』は、天明(1781年 - 1789年)から文政(1818年 - 1830年)年間にかけて活躍した江戸時代中後期の浮世絵師、 鶴岡蘆水 つるおかろすい (生没年不詳)による隅田川の東岸と西岸とを乾坤二巻に描き分けた木版手彩色の巻物(または折本)。
  • 刊行年は、天明元年(1781年)で
  • 乾巻(東巻)は、正月で凧が上がった永代橋から川を上り、深川寺町、新大橋、一ツ目弁天、回向院、人々で賑わう夏の両国橋、紅葉の中の多田薬師堂と大川橋(吾妻橋)、雪景色の千住大橋と筑波山までを写す。
  • 坤巻(西巻)は、真崎稲荷(石濱神社)付近から川を下り、今戸町、煙が上がる今戸の瓦焼き、遠景の新吉原と金龍山聖天宮、花川戸町、浅草寺、大川橋、桜の上野、雨の両国橋、新大橋、花火の上がる中洲、紅葉の永代橋と佃島、雪を被った富士で終わる。《参考》Wikipedia  
  • 国立国会図書館蔵。
《東》

《西》
『絵本隅田川両岸一覧』葛飾北斎
絵本隅田川両岸一覧について 
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  • 絵本隅田川両岸一覧』は、 葛飾北斎 かつしかほくさい (宝暦10年9月23日〈1760年10月31日〉? - 嘉永2年4月18日〈1849年5月10日〉)による、隅田川両岸の景色を描いた絵に狂歌が添えられた3冊からなる絵本。鶴屋喜右衛門刊。
  • ボストン美術館の解説によれば、1804年〈享和4年/文化元年〉頃の作品とされる。(POSSIBLY 1804 (KYÔWA 4/BUNKA 1),ABOUT 1804 (KYÔWA 4/BUNKA 1))
  • 刊行年とされる
  • 隅田川河口から上流へと遡さかのぼり、高輪、両国、大川橋(現在の吾妻橋)、浅草寺などを経て新吉原に至るまでの両岸の情景を描く。
  • 全て西岸を基点とし、東岸を向こう岸に眺める構図。年始から年末への四季折々の隅田川沿いの風景や風俗が描かれる。
  • ボストン美術館蔵。
『東都名所之内 隅田川八景』歌川広重初代
東都名所之内 隅田川八景について 
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  • 東都名所之内 隅田川八景』は、 歌川広重 うたがわひろしげ 初代(寛政9年〈1797年〉- 安政5年9月6日〈1858年10月12日〉)による、隅田川にまつわる風景を描いた八図。
  • ボストン美術館の解説によれば、1840年 – 1842年(天保11年 – 天保13年)頃の作品とされる。
  • ボストン美術館蔵。
『隅田川八景』歌川広重二代
隅田川八景について 
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  • 隅田川八景』は、 歌川広重 うたがわひろしげ 二代(文政9年〈1826年〉- 明治2年9月17日〈1869年10月21日〉)による、隅田川をテーマにした八図。
  • 1861年〈万延2年 - 文久元年〉の作品。
  • ボストン美術館蔵。
  • ボストン美術館では「白髯落雁」「長命寺晩鐘」の2図を欠く。大英博物館にその2図が認められるが、広告を掲載するサイトでの使用が許可されていない。

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Last updated : 2021/11/17