|
・文字をクリックすると、説明や文章が出たり消えたりします。 |
使い方と説明
・下の枠の番号をクリックすると、表示されている作家の作品が出たり消えたりします。 ・主に明治・大正から昭和初期の作家の、日本文学を主とする著名な作品の「書き出し」と「書き終わり・結び」を収録しました。一部翻訳文も含まれます。
・詩集や、段などで書かれている作品は、初めの一編(一段、一作など)と最後の一編(一段、一作など)を「書き出し」「書き終わり・結び」として示しました。小説や随筆などにおける「書き出し」「書き終わり・結び」とはやや趣が異なります。
・このページでは、『作家別・あ行』の作品の「書き出し」、つまり作品の最初の部分を表示します。
・「書き終わり・結び」は別のページで見ることができます。「書き終わりを見る」をクリックして下さい。
・「インターネット電子図書館 青空文庫 」からの引用がかなりの割合を占めます。引用したサイトがある場合、それぞれの作品の原文へのリンクを設けました。
・研究や学習にお使いの際は、辞典・専門書などでご確認下さい。 |
1 芥川龍之介 「或阿呆の一生」
それは或本屋の二階だつた。二十歳の彼は書棚にかけた西洋風の梯子に登り、新らしい本を探してゐた。モオパスサン、ボオドレエル、ストリントベリイ、イブセン、シヨウ、トルストイ、……
そのうちに日の暮は迫り出した。しかし彼は熱心に本の背文字を読みつづけた。そこに並んでゐるのは本といふよりも寧ろ世紀末それ自身だつた。ニイチエ、ヴエルレエン、ゴンクウル兄弟、ダスタエフスキイ、ハウプトマン、フロオベエル、……
2 芥川龍之介 「芋粥」
元慶の末か、仁和の始にあつた話であらう。どちらにしても時代はさして、この話に大事な役を、勤めてゐない。読者は唯、平安朝と云ふ、遠い昔が背景になつてゐると云ふ事を、知つてさへゐてくれれば、よいのである。――その頃、摂政藤原基経に仕へてゐる侍の中に、某と云ふ五位があつた。
3 芥川龍之介 「蜘蛛の糸」
ある日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云えない好い匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。極楽は丁度朝なのでございましょう。
4 芥川龍之介 「戯作三昧」
天保二年九月のある午前である。神田同朋町の銭湯松の湯では、朝から相変らず客が多かった。式亭三馬が何年か前に出版した滑稽本の中で、「神祇、釈教、恋、無常、みないりごみの浮世風呂」といった光景は、今もそのころと変りはない。
5 芥川龍之介 「地獄変」
堀川の大殿様のやうな方は、これまでは固より、後の世には恐らく二人とはいらつしやいますまい。噂に聞きますと、あの方の御誕生になる前には、大威徳明王の御姿が御母君の夢枕にお立ちになつたとか申す事でございますが、兎に角御生れつきから、並々の人間とは御違ひになつてゐたやうでございます。でございますから、あの方の為さいました事には、一つとして私どもの意表に出てゐないものはございません。
6 芥川龍之介 「杜子春」
或春の日暮です。
唐の都洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました。
若者は名を杜子春といって、元は金持の息子でしたが、今は財産を費い尽して、その日の暮しにも困る位、憐な身分になっているのです。
7 芥川龍之介 「トロッコ」
小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平の八つの年だった。良平は毎日村外れへ、その工事を見物に行った。工事を――といったところが、唯トロッコで土を運搬する――それが面白さに見に行ったのである。
8 芥川龍之介 「鼻」
禅智内供の鼻と云えば、池の尾で知らない者はない。長さは五六寸あって上唇の上から顋の下まで下っている。形は元も先も同じように太い。云わば細長い腸詰めのような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下っているのである。
9 芥川龍之介 「毛利先生」
歳晩のある暮方、自分は友人の批評家と二人で、所謂腰弁街道の、裸になった並樹の柳の下を、神田橋の方へ歩いていた。自分たちの左右には、昔、島崎藤村が「もっと頭をあげて歩け」と慷慨した、下級官吏らしい人々が、まだ漂っている黄昏の光の中に、蹌踉たる歩みを運んで行く。
10 芥川龍之介 「羅生門」
ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。
11 阿仏尼 「十六夜日記」
むかし、かべのなかよりもとめ出でたりけむふみの名をば、今の世の人の子は、夢ばかりも身のうへの事とは知らざりけりな。みづくきの岡のくづ葉、かへすがへすも、かきおくあとたしかなれども、かひなきものは親のいさめなり。又賢王の人をすて給はぬまつりごとにももれ、忠臣の世を思ふなさけにもすてらるゝものは、かずならぬ身ひとつなりけりと思ひ知りながら、またさてしもあらで、猶このうれへこそやるかたなく悲しけれ。
12 有島武郎 「或る女」
新橋(しんばし)を渡る時、発車を知らせる二番目の鈴(ベル)が、霧とまではいえない九月の朝の、煙(けむ)った空気に包まれて聞こえて来た。葉子(ようこ)は平気でそれを聞いたが、車夫は宙を飛んだ。そして車が、鶴屋(つるや)という町のかどの宿屋を曲がって、いつでも人馬の群がるあの共同井戸のあたりを駆けぬける時、停車場の入り口の大戸をしめようとする駅夫と争いながら、八分(ぶ)がたしまりかかった戸の所に突っ立ってこっちを見まもっている青年の姿を見た。
「まあおそくなってすみませんでした事……まだ間に合いますかしら」
13 有島武郎 「生まれいずる悩み」
私は自分の仕事を神聖なものにしようとしていた。ねじ曲がろうとする自分の心をひっぱたいて、できるだけ伸び伸びしたまっすぐな明るい世界に出て、そこに自分の芸術の宮殿を築き上げようともがいていた。それは私にとってどれほど喜ばしい事だったろう。と同時にどれほど苦しい事だったろう。私の心の奥底には確かに――すべての人の心の奥底にあるのと同様な――火が燃えてはいたけれども、その火を燻(いぶ)らそうとする塵芥(ちりあくた)の堆積(たいせき)はまたひどいものだった。
14 有島武郎 「惜みなく愛は奪う」
太初に道があったか行があったか、私はそれを知らない。然し誰がそれを知っていよう、私はそれを知りたいと希う。そして誰がそれを知りたいと希わぬだろう。けれども私はそれを考えたいとは思わない。知る事と考える事との間には埋め得ない大きな溝がある。人はよくこの溝を無視して、考えることによって知ることに達しようとはしないだろうか。
15 有島武郎 「カインの末裔」
長い影を地にひいて、痩馬の手綱を取りながら、彼れは黙りこくって歩いた。大きな汚い風呂敷包と一緒に、章魚のように頭ばかり大きい赤坊をおぶった彼れの妻は、
16 有島武郎 「小さき者へ」
お前たちが大きくなって、一人前の人間に育ち上った時、――その時までお前たちのパパは生きているかいないか、それは分らない事だが――父の書き残したものを繰拡(くりひろ)げて見る機会があるだろうと思う。その時この小さな書き物もお前たちの眼の前に現われ出るだろう。時はどんどん移って行く。お前たちの父なる私がその時お前たちにどう映(うつ)るか、それは想像も出来ない事だ。
17 有島武郎 「一房の葡萄」
僕は小さい時に絵を描(か)くことが好きでした。僕の通(かよ)っていた学校は横浜(よこはま)の山(やま)の手(て)という所にありましたが、そこいらは西洋人ばかり住んでいる町で、僕の学校も教師は西洋人ばかりでした。そしてその学校の行きかえりにはいつでもホテルや西洋人の会社などがならんでいる海岸の通りを通るのでした。
18 石川啄木 「一握の砂」
我を愛する歌
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
19 石川啄木 「悲しき玩具」
呼吸(いき)すれば、
胸の中(うち)にて鳴る音あり。
凩(こがらし)よりもさびしきその音!
眼(め)閉(と)づれど、
心にうかぶ何もなし。
さびしくも、また、眼をあけるかな。
20 泉鏡花 「婦系図
素顔に口紅で美(うつくし)いから、その色に紛(まが)うけれども、可愛い音(ね)は、唇が鳴るのではない。お蔦(つた)は、皓歯(しらは)に酸漿(ほおずき)を含んでいる。……
「早瀬の細君(レコ)はちょうど(二十(はたち))と見えるが三だとサ、その年紀(とし)で酸漿を鳴らすんだもの、大概素性も知れたもんだ、」と四辺(あたり)近所は官員(つとめにん)の多い、屋敷町の夫人(おくさま)連が風説(うわさ)をする。
21 泉鏡花 「外科室」
実は好奇心のゆえに、しかれども予は予が画師(えし)たるを利器として、ともかくも口実を設けつつ、予と兄弟もただならざる医学士高峰をしいて、某(それ)の日東京府下の一(ある)病院において、渠(かれ)が刀(とう)を下すべき、貴船(きふね)伯爵夫人の手術をば予をして見せしむることを余儀なくしたり。
22 泉鏡花 「高野聖」
「参謀(さんぼう)本部編纂(へんさん)の地図をまた繰開(くりひら)いて見るでもなかろう、と思ったけれども、余りの道じゃから、手を触(さわ)るさえ暑くるしい、旅の法衣(ころも)の袖(そで)をかかげて、表紙を附(つ)けた折本になってるのを引張(ひっぱ)り出した。
飛騨(ひだ)から信州へ越(こ)える深山(みやま)の間道で、ちょうど立休らおうという一本の樹立(こだち)も無い、右も左も山ばかりじゃ、手を伸(の)ばすと達(とど)きそうな峰(みね)があると、その峰へ峰が乗り、巓(いただき)が被(かぶ)さって、飛ぶ鳥も見えず、雲の形も見えぬ。
23 泉鏡花 「夜行巡査」
「こう爺(じい)さん、おめえどこだ」と職人体の壮佼(わかもの)は、そのかたわらなる車夫の老人に向かいて問い懸(か)けたり。車夫の老人は年紀(とし)すでに五十を越えて、六十にも間はあらじと思わる。餓えてや弱々しき声のしかも寒さにおののきつつ、
「どうぞまっぴら御免なすって、向後(こうご)きっと気を着けまする。へいへい」
と、どぎまぎして慌(あわ)ておれり。
24 伊藤左千夫 「野菊の墓」
後(のち)の月という時分が来ると、どうも思わずには居られない。幼い訣(わけ)とは思うが何分にも忘れることが出来ない。もはや十年余(よ)も過去った昔のことであるから、細かい事実は多くは覚えて居ないけれど、心持だけは今なお昨日の如く、その時の事を考えてると、全く当時の心持に立ち返って、涙が留めどなく湧くのである。悲しくもあり楽しくもありというような状態で、忘れようと思うこともないではないが、寧(むし)ろ繰返し繰返し考えては、夢幻的の興味を貪(むさぼ)って居る事が多い。そんな訣から一寸(ちょっと)物に書いて置こうかという気になったのである。
25 上田敏訳詩集 「海潮音」
燕の歌 ガブリエレ・ダンヌンチオ
弥生(やよひ)ついたち、はつ 燕(つばめ)、
海のあなたの静けき国の
便(たより)もてきぬ、うれしき 文(ふみ)を。
春のはつ花、にほひを 尋(と)むる。
あゝ、よろこびのつばくらめ。
黒と白との 染分縞(そめわけじま)は
春の心の舞姿。
26 岡本かの子 「母子叙情」
かの女は、一足さきに玄関まえの庭に出て、主人逸作の出て来るのを待ち受けていた。
夕食ごろから静まりかけていた春のならいの激しい風は、もうぴったり納まって、ところどころ 屑(くず)や葉を吹き 溜(た)めた箇所だけに、 狼藉(ろうぜき)の 痕(あと)を残している。十坪程の表庭の草木は、 硝子箱(ガラスばこ)の中の標本のように、くっきり 茎目(くきめ)立って、一きわ明るい日暮れ前の光線に、形を 截(き)り出されている。
「まるで真空のような夕方だ」
それは夜の九時過ぎまでも明るい欧州の夏の夕暮に似ていると、かの女はあたりを珍しがりながら、 見廻(みまわ)している。
27 岡本かの子 「老妓抄」
平出園子というのが老妓の本名だが、これは歌舞伎俳優の戸籍名のように当人の感じになずまないところがある。そうかといって職業上の名の小そのとだけでは、だんだん素人の素朴な気持ちに還ろうとしている今日の彼女の気品にそぐわない。
ここではただ何となく老妓といって置く方がよかろうと思う。
人々は真昼の百貨店でよく彼女を見かける。
28 尾崎紅葉 「金色夜叉」
未(ま)だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠(さしこ)めて、真直(ますぐ)に長く東より西に横(よこた)はれる大道(だいどう)は掃きたるやうに物の影を留(とど)めず、いと寂(さびし)くも往来(ゆきき)の絶えたるに、例ならず繁(しげ)き車輪(くるま)の輾(きしり)は、或(あるひ)は忙(せはし)かりし、或(あるひ)は飲過ぎし年賀の帰来(かへり)なるべく、疎(まばら)に寄する獅子太鼓(ししだいこ)の遠響(とほひびき)は、はや今日に尽きぬる三箇日(さんがにち)を惜むが如く、その哀切(あはれさ)に小(ちひさ)き膓(はらわた)は断(たた)れぬべし。
29 織田作之助 「夫婦善哉(めおとぜんざい)」
年中借金取が出はいりした。節季はむろんまるで毎日のことで、醤油屋(しょうゆや)、油屋、八百屋(やおや)、鰯屋(いわしや)、乾物屋(かんぶつや)、炭屋、米屋、家主その他、いずれも厳しい催促(さいそく)だった。路地の入り口で牛蒡(ごぼう)、蓮根(れんこん)、芋(いも)、三ツ葉、蒟蒻(こんにゃく)、紅生姜(べにしょうが)、鯣(するめ)、鰯など一銭天婦羅(てんぷら)を揚(あ)げて商っている種吉(たねきち)は借金取の姿が見えると、下向いてにわかに饂飩粉(うどんこ)をこねる真似(まね)した。
|