江戸名所図会えどめいしょずえより「長栄山本門寺ちょうえいざんほんもんじ

  • 江戸名所図会』から、「長栄山本門寺」の6枚の絵を抜き出しパノラマ画像としました。
    *一丁の半分、つまり1ページ分の絵を1枚と数えています。
    *原画は国立国会図書館蔵。

  • 池上本門寺(いけがみほんもんじ)は、東京都大田区池上にある日蓮宗の大本山。山号を長栄山、院号を大国院、寺号を本門寺とし、古くより池上本門寺と呼ばれてきた。
  • 『江戸名所図会』には次のように記される。
    長栄山本門寺ちょうえいざんほんもんじ
    大国院だいこくいんと号す。池上邑いけがみむらにあり。日蓮大士にちれんだいし弘法ぐほう一本寺いっぽんじにして、三頭さんとうしょうするの一員いちいんたり(甲州身延山こうしゅうみのぶさん総州正中山そうしゅうしょうちゅうさん当山とうざん以上いじょう三頭さんとうという)。当寺とうじ日蓮大士にちれんだいし終焉しゅうえん古跡こせきにて、弘安年間こうあんねんかん開創かいそうたり。
    *適宜、現代仮名遣いとするなどした。
    *日蓮大士:日蓮。鎌倉時代の仏教の僧。鎌倉仏教のひとつである日蓮宗の開祖。承久4年〈1222年〉2月16日 - 弘安5年〈1282年〉10月13日。
    *弘法(ぐほう)は、仏の教えを世間に広めること。
    *弘安年間は、1278年から1288年まで。弘安元年は
《6枚をつないだパノラマ画像》
「本門寺」
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江戸名所図会えどめいしょずえ 』とは
  • 江戸名所図会えどめいしょずえ』は、全7巻、20冊からなる絵入りの江戸の地誌。江戸名所の集大成と評される。
  • 斎藤幸雄さいとうゆきお長秋ちょうしゅう)が、寛政年間の江戸府内などの実地調査をして原稿を執筆したが刊行出来ず、その子幸孝ゆきたか莞斎かんさい)、孫の幸成ゆきしげ月岑げっしん)へと引き継がれ三十余年の時を経て三代で完成。第一巻から第三巻までの 10冊は天保5年〈1834年〉に、第四巻から第七巻までの 10冊は天保7年〈1836年〉に刊行された。
  • 寛政から天保に至る、江戸およびその近郊の町・神社・仏閣・名勝地・旧跡・橋・風俗などを多数の絵とともに説明。丁数で 1,160余、ページ数で 2,300余にのぼる大作。
  • 月岑げっしんは『附言』で次のように記す。
    この書は祖父が寛政中の編にして、父県麻呂あがたまろ刪補さんぽ、文化の末に至りてなり、文政の今に至りて上梓の功を終りぬ。凡そ年序を経る事三十有余年、江都蕃昌はんじょうしたがひて、神社寺院、境地沿革するものすこぶる多し。一向の小祠も須臾しゅゆに壮麗たる大社となり、わづかの草庵も巍然ぎぜんたる荘厳となれるもの少なからず。或いは祝融しゅくゆうわざわいかかりて楼門回廊を焼失し、礎石のみ存するの類、興廃枚挙すべからず。しかりといへども時々是を改むる事あたはず。故に今時のていたがへるもの多し。見るものいぶかる事なかれ。
    斎藤月岑識

    [注]
    斎藤長秋さいとうちょうしゅう :1737〈元文2〉年 - 1799〈寛政11〉年(長秋が没した寛政11年は、)。 斎藤莞斎さいとうかんさい :1772〈安永元〉年 - 1818〈文化15〉年。 斎藤月岑さいとうげっしん :1804〈文化元〉年 - 1878〈明治11〉年。寛政:1789年 - 1801年。文化:1804年 - 1818年。文政:1818年 - 1831年。 刪補さんぽ: 取り去ったり付け足したりすること。年序:年数。沿革:漸次にうつり変わる。一向の小祠:まったく小さな祠。須臾しゅゆ:わずかの時間。巍然ぎぜん:際立っているさま。祝融しゅくゆうわざわ:火災。火事の災難のこと。
  • 絵は 長谷川雪旦はせがわせったん(安永7年〈1778年〉- 天保14年1月28日〈1843年2月26日〉)。挿画はその多くが鳥瞰図の技法で描かれる。

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Last updated : 2023/12/09