江戸名所図会えどめいしょずえより「日暮里にっぽり

  • 江戸名所図会』から、「日暮里」の7枚の絵を抜き出しパノラマ画像としました。
    *一丁の半分、つまり1ページ分の絵を1枚と数えています。
    *原画は国立国会図書館蔵。

  • 日暮里は、東京都荒川区日暮里。
  • 『江戸名所図会』には次のように記される。
    日暮里にっぽり
    新堀にっぽりつくるを正字しょうじとす。永禄えいろく二年、北条分限帳ほうじょうぶんげんちょう遠山とおやま弥九郎江戸知行えどちぎょううち屋中新堀やなかにっぽりを加う。今、日暮里ひぐらしのさとつくるは寛延かんえんころよりの事なりといえり。感應寺かんのうじ裏門うらもんあたりより道灌山どうかんやまさかいとす。此辺このへん寺院じいん庭中ていちゅう奇石きせきたたん假山つきやまもうけ、四時しいじ草木そうもくはなたえず。つね遊観ゆうかんそなう。就中なかんずく二月きさらぎなかばよりは酒亭さかや茶店ちゃみせ 櫈几しょうぎところせく、貴賤きせんそでをつどえてはるの日のながきおぼえぬも 此里このさとにしおえるものならん。
    *適宜、現代仮名遣いとするなどした。
    *永禄二年は、。寛延元年は、
  • 絵には、本行寺、長相寺、経王寺、養福寺、南泉寺、浄光寺、飛隆寺、青雲寺、道灌山などが描かれる。
《7枚をつないだパノラマ画像》
「日暮里総図」
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  • 当サイト独自の色調補正を行っており、国立国会図書館が公開している原画とは色調が若干違います。
江戸名所図会えどめいしょずえ 』とは
  • 江戸名所図会えどめいしょずえ』は、全7巻、20冊からなる絵入りの江戸の地誌。江戸名所の集大成と評される。
  • 斎藤幸雄さいとうゆきお長秋ちょうしゅう)が、寛政年間の江戸府内などの実地調査をして原稿を執筆したが刊行出来ず、その子幸孝ゆきたか莞斎かんさい)、孫の幸成ゆきしげ月岑げっしん)へと引き継がれ三十余年の時を経て三代で完成。第一巻から第三巻までの 10冊は天保5年〈1834年〉に、第四巻から第七巻までの 10冊は天保7年〈1836年〉に刊行された。
  • 寛政から天保に至る、江戸およびその近郊の町・神社・仏閣・名勝地・旧跡・橋・風俗などを多数の絵とともに説明。丁数で 1,160余、ページ数で 2,300余にのぼる大作。
  • 月岑げっしんは『附言』で次のように記す。
    この書は祖父が寛政中の編にして、父県麻呂あがたまろ刪補さんぽ、文化の末に至りてなり、文政の今に至りて上梓の功を終りぬ。凡そ年序を経る事三十有余年、江都蕃昌はんじょうしたがひて、神社寺院、境地沿革するものすこぶる多し。一向の小祠も須臾しゅゆに壮麗たる大社となり、わづかの草庵も巍然ぎぜんたる荘厳となれるもの少なからず。或いは祝融しゅくゆうわざわいかかりて楼門回廊を焼失し、礎石のみ存するの類、興廃枚挙すべからず。しかりといへども時々是を改むる事あたはず。故に今時のていたがへるもの多し。見るものいぶかる事なかれ。
    斎藤月岑識

    [注]
    斎藤長秋さいとうちょうしゅう :1737〈元文2〉年 - 1799〈寛政11〉年(長秋が没した寛政11年は、)。 斎藤莞斎さいとうかんさい :1772〈安永元〉年 - 1818〈文化15〉年。 斎藤月岑さいとうげっしん :1804〈文化元〉年 - 1878〈明治11〉年。寛政:1789年 - 1801年。文化:1804年 - 1818年。文政:1818年 - 1831年。 刪補さんぽ: 取り去ったり付け足したりすること。年序:年数。沿革:漸次にうつり変わる。一向の小祠:まったく小さな祠。須臾しゅゆ:わずかの時間。巍然ぎぜん:際立っているさま。祝融しゅくゆうわざわ:火災。火事の災難のこと。
  • 絵は 長谷川雪旦はせがわせったん(安永7年〈1778年〉- 天保14年1月28日〈1843年2月26日〉)。挿画はその多くが鳥瞰図の技法で描かれる。

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Last updated : 2023/12/09