江戸名所図会えどめいしょずえより「六所宮祭礼之図ろくしょのみやさいれいのず

  • 江戸名所図会』から、「六所宮祭礼之図」の5枚の絵を抜き出しパノラマ画像としました。
    *一丁の半分、つまり1ページ分の絵を1枚と数えています。
    *原画は国立国会図書館蔵。

  • 武蔵国総社六所明神社むさしのくにそうじゃろくしょみょうじん府中六所宮ふちゅうろくしょのみやは、東京都府中市に所在する大國魂神社おおくにたまじんじゃ(大国魂神社)のこと。
  • 例大祭は4月30日から5月6日までの間に行われ、5月5日の例祭は主要な行事を灯火を消した暗闇の中で行なわれることから闇夜祭くらやみまつりとよばれる。
  • 『江戸名所図会』の「六所宮祭礼之図ろくしょのみやさいれいのず」は、長い竿の先に付けた提灯や、そこここで燃える焚き火など、5月5日の夜の様子が描かれる。
  • 『江戸名所図会』には、「六所宮」について次のように記される。
    武蔵国総社六所明神社むさしのくにそうじゃろくしょみょうじん
    府中ふちゅう駅路えきろ左側ひだりがわにあり。延喜式内えんぎしきない大麻止之豆之天神社おおまとのつのてんじんのやしろこれなり。後世こうせいいたりて同じく式内しきない小野神社おののじんじゃあわまつゆえいま両社一社りょうしゃいっしゃしょうあり。神主かんぬし猿渡氏さわたりうじその社司しゃし社僧等しゃそうとう奉祀ほうしす。
    本社祭神ほんしゃさいしん大巳貴命おおなむちのみこと相殿あいでん素盞嗚尊すさのおのみこと・伊弉冊尊いざなみのみこと瓊々杵尊ににぎのみこと大宮女大神おおみやひめのおんかみ布留大神ふるのおんかみ以上いじょう六神ろくしん、これをぞく六所明神ろくしょみょうじんしょうせり)。
    天下春命あまのしたはるのみこと瀬織津比咩命せおりつひめのみこと稲倉魂大神うがのみたまのおんかみ以上いじょう三神さんしん、これを客来きゃくらい三所の御神としょうせり)。すべて九神あわせて共に六所宮ろくしょのみやしょうす。この三神の事は一宮と小野神社おののじんじゃとの条下じょうかつまびらかなり。
    *適宜、現代仮名遣いとするなどした。
    *延喜式(えんぎしき)は、平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)。(平安時代は、延暦13年〈794年〉- 文治元年〈1185年〉/建久3年〈1192年〉頃)
《5枚をつないだパノラマ画像》
「五月五日 六所宮祭礼之図」
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「江戸名所図会」五月五日 六所宮祭礼之図ろくしょのみやさいれいのず
[六所宮祭礼之図 一]
[六所宮祭礼之図 二]
[六所宮祭礼之図 三]
六所宮祭礼之図
[国立国会図書館索引へ]  
   
「江戸名所図会」府中 六所宮ふちゅう ろくしょのみや
[府中 六所宮 一]
[府中 六所宮 二]
[六所宮 田植]
 五月六日は御田植の神事にて、武蔵野国の人民、早苗を携え来たりて神田にこれを挿さめり。
武蔵国総社六所明神社
[国立国会図書館索引へ]  
   
江戸名所図会えどめいしょずえ 』とは
  • 江戸名所図会えどめいしょずえ』は、全7巻、20冊からなる絵入りの江戸の地誌。江戸名所の集大成と評される。
  • 斎藤幸雄さいとうゆきお長秋ちょうしゅう)が、寛政年間の江戸府内などの実地調査をして原稿を執筆したが刊行出来ず、その子幸孝ゆきたか莞斎かんさい)、孫の幸成ゆきしげ月岑げっしん)へと引き継がれ三十余年の時を経て三代で完成。第一巻から第三巻までの 10冊は天保5年〈1834年〉に、第四巻から第七巻までの 10冊は天保7年〈1836年〉に刊行された。
  • 寛政から天保に至る、江戸およびその近郊の町・神社・仏閣・名勝地・旧跡・橋・風俗などを多数の絵とともに説明。丁数で 1,160余、ページ数で 2,300余にのぼる大作。
  • 月岑げっしんは『附言』で次のように記す。
    この書は祖父が寛政中の編にして、父県麻呂あがたまろ刪補さんぽ、文化の末に至りてなり、文政の今に至りて上梓の功を終りぬ。凡そ年序を経る事三十有余年、江都蕃昌はんじょうしたがひて、神社寺院、境地沿革するものすこぶる多し。一向の小祠も須臾しゅゆに壮麗たる大社となり、わづかの草庵も巍然ぎぜんたる荘厳となれるもの少なからず。或いは祝融しゅくゆうわざわいかかりて楼門回廊を焼失し、礎石のみ存するの類、興廃枚挙すべからず。しかりといへども時々是を改むる事あたはず。故に今時のていたがへるもの多し。見るものいぶかる事なかれ。
    斎藤月岑識

    [注]
    斎藤長秋さいとうちょうしゅう :1737〈元文2〉年 - 1799〈寛政11〉年(長秋が没した寛政11年は、)。 斎藤莞斎さいとうかんさい :1772〈安永元〉年 - 1818〈文化15〉年。 斎藤月岑さいとうげっしん :1804〈文化元〉年 - 1878〈明治11〉年。寛政:1789年 - 1801年。文化:1804年 - 1818年。文政:1818年 - 1831年。 刪補さんぽ: 取り去ったり付け足したりすること。年序:年数。沿革:漸次にうつり変わる。一向の小祠:まったく小さな祠。須臾しゅゆ:わずかの時間。巍然ぎぜん:際立っているさま。祝融しゅくゆうわざわ:火災。火事の災難のこと。
  • 絵は 長谷川雪旦はせがわせったん(安永7年〈1778年〉- 天保14年1月28日〈1843年2月26日〉)。挿画はその多くが鳥瞰図の技法で描かれる。

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Last updated : 2024/06/05