江戸名所図会(えどめいしょずえ)より「金龍山浅草寺(きんりゅうざんせんそうじ)」

  • 『江戸名所図会』から、「金龍山浅草寺」に関する10枚の絵を抜き出しパノラマ画像としました。
    *一丁の半分、つまり1ページ分の絵を1枚と数えています。
    *原画は国立国会図書館蔵。

  • 浅草寺は、東京都台東区浅草二丁目にあり浅草観音としても知られる。
  • 始まりは飛鳥時代の推古天皇36年〈628年〉 で、大化元年〈645年〉に観音堂が建てられ、都内最古の寺とされる。
  • 『江戸名所図会』には次のように記される。
    金龍山浅草寺(きんりゅうざんせんそうじ)
    伝法院(でんぼういん)と号(ごう)す。坂東順礼所(ばんどうじゅんれいしょ)十三番目なり。天台宗(てんだいしゅう)にして東叡山(とうえいざん)に属(ぞく)せり。
    *適宜、現代仮名遣いとするなどした。
《10枚をつないだパノラマ画像》
「金龍山浅草寺」
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  • 当サイト独自の色調補正を行っており、国立国会図書館が公開している原画とは色調が若干違います。
『 江戸名所図会(えどめいしょずえ) 』とは
  • 『江戸名所図会(えどめいしょずえ)』は、全7巻、20冊からなる絵入りの江戸の地誌。江戸名所の集大成と評される。
  • 斎藤幸雄(さいとうゆきお)(長秋(ちょうしゅう))が、寛政年間の江戸府内などの実地調査をして原稿を執筆したが刊行出来ず、その子幸孝(ゆきたか)(莞斎(かんさい))、孫の幸成(ゆきしげ)(月岑(げっしん))へと引き継がれ三十余年の時を経て三代で完成。第一巻から第三巻までの 10冊は天保5年〈1834年〉に、第四巻から第七巻までの 10冊は天保7年〈1836年〉に刊行された。
  • 寛政から天保に至る、江戸およびその近郊の町・神社・仏閣・名勝地・旧跡・橋・風俗などを多数の絵とともに説明。丁数で 1,160余、ページ数で 2,300余にのぼる大作。
  • 月岑(げっしん)は『附言』で次のように記す。
    この書は祖父が寛政中の編にして、父県麻呂(あがたまろ)が刪補(さんぽ)、文化の末に至りてなり、文政の今に至りて上梓の功を終りぬ。凡そ年序を経る事三十有余年、江都蕃昌(はんじょう)に随(したがひ)て、神社寺院、境地沿革するもの頗(すこぶ)る多し。一向の小祠も須臾(しゅゆ)に壮麗たる大社となり、纔(わづか)の草庵も巍然(ぎぜん)たる荘厳となれるもの少なからず。或いは祝融(しゅくゆう)の災(わざわい)に罹(かか)りて楼門回廊を焼失し、礎石のみ存するの類、興廃枚挙すべからず。然(しか)りといへども時々是を改むる事能(あた)はず。故に今時の躰(てい)に差(たが)へるもの多し。見るものいぶかる事なかれ。
    斎藤月岑識

    [注]
    斎藤長秋(さいとうちょうしゅう) :1737〈元文2〉年 - 1799〈寛政11〉年(長秋が没した寛政11年は、)。 斎藤莞斎(さいとうかんさい) :1772〈安永元〉年 - 1818〈文化15〉年。 斎藤月岑(さいとうげっしん) :1804〈文化元〉年 - 1878〈明治11〉年。寛政:1789年 - 1801年。文化:1804年 - 1818年。文政:1818年 - 1831年。 刪補(さんぽ): 取り去ったり付け足したりすること。年序:年数。沿革:漸次にうつり変わる。一向の小祠:まったく小さな祠。須臾(しゅゆ):わずかの時間。巍然(ぎぜん):際立っているさま。祝融(しゅくゆう)の災(わざわ)い:火災。火事の災難のこと。
  • 絵は 長谷川雪旦(はせがわせったん)(安永7年〈1778年〉- 天保14年1月28日〈1843年2月26日〉)。挿画はその多くが鳥瞰図の技法で描かれる。

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Last updated : 2025/12/26