江戸名所図会えどめいしょずえより「万松山東海禅寺ばんしょうざんとうかいぜんじ

  • 江戸名所図会』から、「万松山東海禅寺」の6枚の絵を抜き出しパノラマ画像としました。
    *一丁の半分、つまり1ページ分の絵を1枚と数えています。
    *原画は国立国会図書館蔵。

  • 東海寺(東海禅寺)は、東京都品川区北品川三丁目にある臨済宗大徳寺派の寺院。山号は万松山。1638年〈寛永15年〉徳川家光が、帰依の僧沢庵宗彭のために建立した。
  • 『江戸名所図会』には次のように記される。
    万松山東海禅寺ばんしょうざんとうかいぜんじ
    品川北馬場しなががわきたばんばにあり。花洛大徳寺派からくだいとくじは禅宗江戸触頭ぜんしゅうえどふれがしら一員いちいんたり。当寺とうじ輪番りんばんにして、年々八月に交代こうたいす。寛永かんえい十五年戊寅、台命たいめいほうじて、沢庵和尚たくあんおしょう開創かいそうするところの禅園ぜんえんなり。塔頭たっちゅう十七あり。
    *適宜、現代仮名遣いとするなどした。
    *花洛(からく)は、京都のこと。京師(けいし)。
    *寛永15年は、1638年
    *塔頭(たっちゅう)は、本寺の境内にある小寺のこと。
《6枚をつないだパノラマ画像》
「万松山東海禅寺」
  • 画像をクリックすると、拡大や縦横の回転をしたりすることができます。画面下にコントロールボタンが表示されます。
  • 画像サイズが大きいため、表示に時間が掛かる場合があります。
  • 当サイト独自の色調補正を行っており、国立国会図書館が公開している原画とは色調が若干違います。
江戸名所図会えどめいしょずえ 』とは
  • 江戸名所図会えどめいしょずえ』は、全7巻、20冊からなる絵入りの江戸の地誌。江戸名所の集大成と評される。
  • 斎藤幸雄さいとうゆきお長秋ちょうしゅう)が、寛政年間の江戸府内などの実地調査をして原稿を執筆したが刊行出来ず、その子幸孝ゆきたか莞斎かんさい)、孫の幸成ゆきしげ月岑げっしん)へと引き継がれ三十余年の時を経て三代で完成。第一巻から第三巻までの 10冊は天保5年〈1834年〉に、第四巻から第七巻までの 10冊は天保7年〈1836年〉に刊行された。
  • 寛政から天保に至る、江戸およびその近郊の町・神社・仏閣・名勝地・旧跡・橋・風俗などを多数の絵とともに説明。丁数で 1,160余、ページ数で 2,300余にのぼる大作。
  • 月岑げっしんは『附言』で次のように記す。
    この書は祖父が寛政中の編にして、父県麻呂あがたまろ刪補さんぽ、文化の末に至りてなり、文政の今に至りて上梓の功を終りぬ。凡そ年序を経る事三十有余年、江都蕃昌はんじょうしたがひて、神社寺院、境地沿革するものすこぶる多し。一向の小祠も須臾しゅゆに壮麗たる大社となり、わづかの草庵も巍然ぎぜんたる荘厳となれるもの少なからず。或いは祝融しゅくゆうわざわいかかりて楼門回廊を焼失し、礎石のみ存するの類、興廃枚挙すべからず。しかりといへども時々是を改むる事あたはず。故に今時のていたがへるもの多し。見るものいぶかる事なかれ。
    斎藤月岑識

    [注]
    斎藤長秋さいとうちょうしゅう :1737〈元文2〉年 - 1799〈寛政11〉年(長秋が没した寛政11年は、)。 斎藤莞斎さいとうかんさい :1772〈安永元〉年 - 1818〈文化15〉年。 斎藤月岑さいとうげっしん :1804〈文化元〉年 - 1878〈明治11〉年。寛政:1789年 - 1801年。文化:1804年 - 1818年。文政:1818年 - 1831年。 刪補さんぽ: 取り去ったり付け足したりすること。年序:年数。沿革:漸次にうつり変わる。一向の小祠:まったく小さな祠。須臾しゅゆ:わずかの時間。巍然ぎぜん:際立っているさま。祝融しゅくゆうわざわ:火災。火事の災難のこと。
  • 絵は 長谷川雪旦はせがわせったん(安永7年〈1778年〉- 天保14年1月28日〈1843年2月26日〉)。挿画はその多くが鳥瞰図の技法で描かれる。

『江戸名所図会』から、1,100 を超す地点を地図上に表示するページ。
  地図で見る『江戸名所図会』 
『江戸名所図会』から、五百羅漢と称される僧の名前。
 『江戸名所図会』に見る「五百羅漢」 
  『浮世絵・錦絵』 などを見る「目次」 

おすすめサイト・関連サイト…

Last updated : 2024/06/29