「書き終わり・結び」

 「書き終わり・結び」 <作家別・ま行>

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 ■ 使い方と説明
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  • 主に明治・大正から昭和初期の作家の、日本文学を主とする著名な作品の「書き出し」と「書き終わり・結び」を収録しました。一部翻訳文も含まれます。
  • 詩集や、段などで書かれている作品は、初めの一編(一段、一作など)と最後の一編(一段、一作など)を「書き出し」「書き終わり・結び」として示しました。小説や随筆などにおける「書き出し」「書き終わり・結び」とはやや趣が異なります。
  • このページでは、『作家別・ま行』の作品の「書き終わり・結び」、つまり作品の最後の部分を表示します。
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  • 「インターネット電子図書館 青空文庫 」からの引用がかなりの割合を占めます。引用したサイトがある場合、それぞれの作品の原文へのリンクを設けました。
1.正岡子規 「歌よみに与ふる書」  

 新奇なる事を詠めといふと、汽車、鉄道などいふいはゆる文明の器械を持ち出す人あれど大(おおい)に量見が間違ひをり候。文明の器械は多く不(ぶ)風流なる者にて歌に入りがたく候へども、もしこれを詠まんとならば他に趣味ある者を配合するの外無之候。それを何の配合物もなく「レールの上に風が吹く」などとやられては殺風景の極に候。せめてはレールの傍に菫(すみれ)が咲いてゐるとか、または汽車の過ぎた後で罌粟(けし)が散るとか、薄(すすき)がそよぐとか言ふやうに、他物を配合すればいくらか見よくなるべく候。また殺風景なる者は遠望する方よろしく候。菜の花の向ふに汽車が見ゆるとか、夏草の野末を汽車が走るとかするが如きも、殺風景を消す一手段かと存候。
 いろいろ言ひたきまま取り集めて申上候。なほ他日詳(つまびら)かに申上ぐる機会も可有之(これあるべく)候。以上。月日。
(明治三十一年三月四日)
2.宮沢賢治 「オツベルと象」  

「なかなかこいつはうるさいねえ。ぱちぱち顔へあたるんだ。」
 オツベルはいつかどこかで、こんな文句をきいたようだと思いながら、ケースを帯からつめかえた。そのうち、象の片脚が、塀からこっちへはみ出した。それからも一つはみ出した。五匹の象が一ぺんに、塀からどっと落ちて来た。オツベルはケースを握ったまま、もうくしゃくしゃに潰(つぶ)れていた。早くも門があいていて、グララアガア、グララアガア、象がどしどしなだれ込む。
「牢(ろう)はどこだ。」みんなは小屋に押し寄せる。丸太なんぞは、マッチのようにへし折られ、あの白象は大へん瘠(や)せて小屋を出た。
「まあ、よかったねやせたねえ。」みんなはしずかにそばにより、鎖と銅をはずしてやった。
「ああ、ありがとう。ほんとにぼくは助かったよ。」白象はさびしくわらってそう云った。
 おや〔一字不明〕、川へはいっちゃいけないったら。
3.宮沢賢治 「風の又三郎」  

「先生、又三郎きょう来るのすか。」とききました。
 先生はちょっと考えて、
「又三郎って高田さんですか。ええ、高田さんはきのうおとうさんといっしょにもうほかへ行きました。日曜なのでみなさんにご挨拶(あいさつ)するひまがなかったのです。」
「先生飛んで行ったのですか。」嘉助がききました。
「いいえ、おとうさんが会社から電報で呼ばれたのです。おとうさんはもいちどちょっとこっちへ戻られるそうですが、高田さんはやっぱり向こうの学校にはいるのだそうです。向こうにはおかあさんもおられるのですから。」
「何(な)して会社で呼ばったべす。」と一郎がききました。
「ここのモリブデンの鉱脈は当分手をつけないことになったためなそうです。」
「そうだないな。やっぱりあいづは風の又三郎だったな。」嘉助が高く叫びました。
 宿直室のほうで何かごとごと鳴る音がしました。先生は赤いうちわをもって急いでそっちへ行きました。
 二人はしばらくだまったまま、相手がほんとうにどう思っているか探るように顔を見合わせたまま立ちました。
 風はまだやまず、窓ガラスは雨つぶのために曇りながら、またがたがた鳴りました。
4.宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」  

「あなたのお父さんはもう帰っていますか。」博士は堅(かた)く時計を握(にぎ)ったまままたききました。
「いいえ。」ジョバンニはかすかに頭をふりました。
「どうしたのかなあ。ぼくには一昨日(おととい)大へん元気な便りがあったんだが。今日あたりもう着くころなんだが。船が遅(おく)れたんだな。ジョバンニさん。あした放課後みなさんとうちへ遊びに来てくださいね。」
 そう云いながら博士はまた川下の銀河のいっぱいにうつった方へじっと眼を送りました。
 ジョバンニはもういろいろなことで胸がいっぱいでなんにも云えずに博士の前をはなれて早くお母さんに牛乳を持って行ってお父さんの帰ることを知らせようと思うともう一目散に河原を街の方へ走りました。
5.宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」  

 老技師はだまって首をたれてしまいました。
 それから三日の後、火山局の船が、カルボナード島へ急いで行きました。そこへいくつものやぐらは建ち、電線は連結されました。
 すっかりしたくができると、ブドリはみんなを船で帰してしまって、じぶんは一人島に残りました。
 そしてその次の日、イーハトーヴの人たちは、青ぞらが緑いろに濁り、日や月が銅(あかがね)いろになったのを見ました。
 けれどもそれから三四日たちますと、気候はぐんぐん暖かくなってきて、その秋はほぼ普通の作柄になりました。そしてちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、明るい薪(たきぎ)で楽しく暮らすことができたのでした。
6.宮沢賢治 「水仙月の四日」  

 雪童子は走って、あの昨日(きのう)の子供の埋(うず)まっているとこへ行きました。
「さあ、ここらの雪をちらしておくれ。」
 雪狼どもは、たちまち後足で、そこらの雪をけたてました。風がそれをけむりのように飛ばしました。
 かんじきをはき毛皮を着た人が、村の方から急いでやってきました。
「もういいよ。」雪童子は子供の赤い毛布(けっと)のはじが、ちらっと雪から出たのをみて叫びました。
「お父さんが来たよ。もう眼をおさまし。」雪わらすはうしろの丘にかけあがって一本の雪けむりをたてながら叫びました。子どもはちらっとうごいたようでした。そして毛皮の人は一生けん命走ってきました。
7.宮沢賢治 「セロ弾きのゴーシュ」  

「こんやは変な晩だなあ。」
 ゴーシュは思いました。ところが楽長は立って云いました。
「ゴーシュ君、よかったぞお。あんな曲だけれどもここではみんなかなり本気になって聞いてたぞ。一週間か十日の間にずいぶん仕上げたなあ。十日前とくらべたらまるで赤ん坊と兵隊だ。やろうと思えばいつでもやれたんじゃないか、君。」
 仲間もみんな立って来て「よかったぜ」とゴーシュに云いました。
「いや、からだが丈夫だからこんなこともできるよ。普通(ふつう)の人なら死んでしまうからな。」楽長が向うで云っていました。
 その晩遅(おそ)くゴーシュは自分のうちへ帰って来ました。
 そしてまた水をがぶがぶ呑(の)みました。それから窓をあけていつかかっこうの飛んで行ったと思った遠くのそらをながめながら
「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ。」と云いました。
8.宮沢賢治 「注文の多い料理店」  

 その扉の向うのまっくらやみのなかで、
「にゃあお、くゎあ、ごろごろ。」という声がして、それからがさがさ鳴りました。
 室はけむりのように消え、二人は寒さにぶるぶるふるえて、草の中に立っていました。
 見ると、上着や靴(くつ)や財布(さいふ)やネクタイピンは、あっちの枝(えだ)にぶらさがったり、こっちの根もとにちらばったりしています。風がどうと吹(ふ)いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。
 犬がふうとうなって戻(もど)ってきました。
 そしてうしろからは、
「旦那(だんな)あ、旦那あ、」と叫ぶものがあります。
 二人は俄(にわ)かに元気がついて
「おおい、おおい、ここだぞ、早く来い。」と叫びました。
 簔帽子(みのぼうし)をかぶった専門の猟師(りょうし)が、草をざわざわ分けてやってきました。
 そこで二人はやっと安心しました。
 そして猟師のもってきた団子(だんご)をたべ、途中(とちゅう)で十円だけ山鳥を買って東京に帰りました。
 しかし、さっき一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした。
9.宮沢賢治 「なめとこ山の熊」  

 その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環(わ)になって集って各々黒い影を置き回々(フイフイ)教徒の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸(しがい)が半分座ったようになって置かれていた。
 思いなしかその死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのように冴(さ)え冴(ざ)えして何か笑っているようにさえ見えたのだ。ほんとうにそれらの大きな黒いものは参の星が天のまん中に来てももっと西へ傾いてもじっと化石したようにうごかなかった。
10.宮本百合子 「貧しき人々の群」  

 私の手は空っぽである。何も私は持っていない。このちいっぽけな、みっともない私は、ほんとうに途方に暮れ、まごついて、ただどうしたら好いかしらんとつぶやいているほか能がない。
 けれども、どうぞ憎まないでおくれ。私はきっと今に何か捕える。どんなに小さいものでもお互に喜ぶことの出来るものを見つける。どうぞそれまで待っておくれ。達者で働いておくれ! 私の悲しい親友よ!
 私は泣きながらでも勉強する。一生懸命に励む。そして、今死のうというときにでも好いから、ほんとうに打ちとけた、心置きない私とお前達が微笑み合うことが出来たらどんなに嬉しかろう! どんなにお天道様はおよろこびなさるか?
 私の大好きな、私を育てて下さるお天道様はどんなに、「よしよし」と云って下さるか! あの好いお天道様が。……
 善馬鹿の死骸は夜になってから見つかった。
 隣村の端れの沼に犬を抱いて彼は溺れていた。
 沢山の小海老(こえび)の行列が、延びた髪の毛の間を、出たり入ったりしていたという。
11.紫式部 「源氏物語 夢の浮橋」 与謝野晶子訳  

「ほんとうに」
 と言い、それを伝えたが、姫君はものも言われないふうであるのに、尼君は失望して、
「ただこんなようにたよりないふうでおいでになったと御報告をなさるほかはありますまい。はるかに雲が隔てるというほどの山でもないのですから、山風は吹きましてもまた必ずお立ち寄りくださるでしょう」
 と小君(こぎみ)に言った。期待もなしに長くとどまっていることもよろしくないと思って少年は去ろうとした。恋しい姿の姉に再会する喜びを心にいだいて来たのであったから、落胆して大将邸へまいった。
 大将は少年の帰りを今か今かと思って待っていたのであったが、こうした要領を得ないふうで帰って来たのに失望し、その人のために持つ悲しみはかえって深められた気がして、いろいろなことも想像されるのであった。だれかがひそかに恋人として置いてあるのではあるまいかなどと、あのころ恨めしいあまりに軽蔑(けいべつ)してもみた人であったから、その習慣で自身でもよけいなことを思うとまで思われた。
12.森鷗外 「阿部一族」  

 畑十太夫は追放せられた。竹内数馬の兄八兵衛は私に討手に加わりながら、弟の討死の場所に居合わせなかったので、閉門を仰せつけられた。また馬廻りの子で近習を勤めていた某(それがし)は、阿部の屋敷に近く住まっていたので、「火の用心をいたせ」と言って当番をゆるされ、父と一しょに屋根に上がって火の子を消していた。のちにせっかく当番をゆるされた思召(おぼしめ)しにそむいたと心づいてお暇(いとま)を願ったが、光尚は「そりゃ臆病ではない、以後はも少し気をつけるがよいぞ」と言って、そのまま勤めさせた。この近習は光尚の亡くなったとき殉死した。
 阿部一族の死骸は井出の口に引き出して、吟味せられた。白川で一人一人の創を洗ってみたとき、柄本又七郎の槍に胸板をつき抜かれた弥五兵衛の創は、誰の受けた創よりも立派であったので、又七郎はいよいよ面目を施した。
大正二年一月

13.森鷗外 「雁」  

 一本の釘から大事件が生ずるように、青魚(さば)の煮肴が上条の夕食の饌(せん)に上(のぼ)ったために、岡田とお玉とは永遠に相見ることを得ずにしまった。そればかりでは無い。しかしそれより以上の事は雁と云う物語の範囲外にある。
 僕は今この物語を書いてしまって、指を折って数えて見ると、もうその時から三十五年を経過している。物語の一半は、親しく岡田に交(まじわ)っていて見たのだが、他の一半は岡田が去った後(のち)に、図らずもお玉と相識になって聞いたのである。譬(たと)えば実体鏡の下にある左右二枚の図を、一(いつ)の影像として視(み)るように、前に見た事と後に聞いた事とを、照らし合せて作ったのがこの物語である。読者は僕に問うかも知れない。「お玉とはどうして相識になって、どんな場合にそれを聞いたか」と問うかも知れない。しかしこれに対する答も、前に云った通り、物語の範囲外にある。只僕にお玉の情人になる要約の備わっていぬことは論を須(ま)たぬから、読者は無用の臆測をせぬが好(よ)い。
14.森鷗外 「山椒大夫」  

安寿恋しや、ほうやれほ。
厨子王恋しや、ほうやれほ。
鳥も生(しょう)あるものなれば、
疾(と)う疾う逃げよ、逐(お)わずとも。
 正道はうっとりとなって、この詞に聞き惚(ほ)れた。そのうち臓腑(ぞうふ)が煮え返るようになって、獣(けもの)めいた叫びが口から出ようとするのを、歯を食いしばってこらえた。たちまち正道は縛られた縄が解けたように垣のうちへ駆け込んだ。そして足には粟の穂を踏み散らしつつ、女の前に俯伏(うつふ)した。右の手には守本尊を捧げ持って、俯伏したときに、それを額に押し当てていた。
 女は雀でない、大きいものが粟をあらしに来たのを知った。そしていつもの詞を唱えやめて、見えぬ目でじっと前を見た。そのとき干した貝が水にほとびるように、両方の目に潤(うるお)いが出た。女は目があいた。
「厨子王」という叫びが女の口から出た。二人はぴったり抱き合った。
大正四年一月

15.森鷗外 「高瀬舟」  

 庄兵衛の心の中には、いろいろに考えてみた末に、自分よりも上のものの判断に任すほかないという念、オオトリテエに従うほかないという念が生じた。庄兵衛はお奉行(ぶぎょう)様の判断を、そのまま自分の判断にしようと思ったのである。そうは思っても、庄兵衛はまだどこやらにふに落ちぬものが残っているので、なんだかお奉行様に聞いてみたくてならなかった。
 次第にふけてゆくおぼろ夜に、沈黙の人二人(ふたり)を載せた高瀬舟は、黒い水の面(おもて)をすべって行った。
16.森鷗外 「舞姫」  

 これよりは騒ぐことはなけれど、精神の作用は殆(ほとんど)全く廃して、その痴(ち)なること赤児の如くなり。医に見せしに、過劇なる心労にて急に起りし「パラノイア」といふ病(やまひ)なれば、治癒の見込なしといふ。ダルドルフの癲狂院(てんきやうゐん)に入れむとせしに、泣き叫びて聴かず、後にはかの襁褓一つを身につけて、幾度か出しては見、見ては欷歔(ききよ)す。余が病牀をば離れねど、これさへ心ありてにはあらずと見ゆ。たゞをり/\思ひ出したるやうに「薬を、薬を」といふのみ。
 余が病は全く癒えぬ。エリスが生ける屍(かばね)を抱きて千行(ちすぢ)の涙を濺(そゝ)ぎしは幾度ぞ。大臣に随ひて帰東の途に上ぼりしときは、相沢と議(はか)りてエリスが母に微(かすか)なる生計(たつき)を営むに足るほどの資本を与へ、あはれなる狂女の胎内に遺しゝ子の生れむをりの事をも頼みおきぬ。
 嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡(なうり)に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり。
(明治二十三年一月)


Last updated : 2025/12/26